ずっとみたいなぁ、と思っていたのに、去年東京で公演があった時はなぜか失念。
うっかり、見逃してしまいました(T-T)。
おまけに、テレビ放映されていたのもノーマーク。
再び涙を流したところ、素早くソフト化されたので、これを買いました。
ベジャールの振付は、やはり亡くなった後のほうが旺盛にソフト化されているような気がしますが…。
ベジャールは、なぜか初期の作品を封印していることが多く(生きてる振付家だったら、当たり前といえば当たり前か)、この「第九」も1初演の960年代からしばらく上演されず、1998年ころにパリ・オペラ座で再演(これが、『エトワール』に出ていた背景だと思われる)、その後また演じられることがなかったそうで、本公演はベジャール没後の一大プロジェクトだったそうな。
まあ、映像みればだいたいわかるけど、大団のダンサーたちと、オーケストラ、大合唱団が必要だから(そして、なぜかドラマーも)、そう簡単には演じられないわけよね。
モダンではあまり生演奏はないけれど、これは生オケでやってほしい演目です。
しかし、オケの手前にステージが映っていたけれど、実際、観客席からどういうみえ方がする舞台設営だったのか、やっぱり実際にみたかったなぁ…。
…う~ん。ここでちょっと違和感があって、次章を観てなるほどと思う。
音楽に関心がないせいか、実際には「第9」という曲目をよくわかっておらず、だからちょっと退屈なのかな…と思ったら。
2章、同じ日本人でもベジャール・バレエ団所属の大貫真幹のソロを観たとき、違和感の原因がわかりました。
基本的に、やはりベジャールは音楽に対する振りを行なうタイプのコレオグラファーなので、BBLのダンサーたちはそのメソッドがしっかり身についており、音楽に対応できる感応性・表現力を備えているのに対し、東京バレエのダンサーたちは、「張り」の表現をできても、「柔」を同時に表すことができず、音楽とのシンクロ度が低い、ということがわかる。
これは東洋人と西洋人の身体能力の差ではなく、やはり修練の差のようです。
音楽の精=BBLのダンサーたちと、踊りのままの東京バレエ、という違いが明瞭に出ていました。
踊りながら360度の鑑賞に耐えられる表現をしないといけないのですが、前ができてても後ろ(背中)がおろそかになっていることが多かったです。
これもまた、ダンサーたちの世代交代が進むと、ベジャールの振付の真意も消えていくかも…と思ってしまいます。
ベジャールはまだまだ未見の作品も多いので…、もっともっと今のうちにみておきたい、なぁ。