pico_usagi’s blog

つれづれ鑑賞記を引っ越し作業中です!

マリインスキー・バレエとロパートキナの『白鳥の湖』

再び、白鳥狩ってます。

2006年収録とそれほど新しくはないですが、マリインスキーのベテランプリマ・ロパートキナの映像ということで、永久保存用?に購入したマリインスキーの『白鳥の湖』。

ロパートキナは私が初めて実見したマリインスキー(当時はキーロフ)のプリンシパルで、2000年来日公演の『バヤデルカ(今はロシアもバヤデール)』のニキヤとしてでした。
私自身、初めてみるロシアの二大バレエで、ロパートキナの憂いのある優雅な踊りと、キーロフにしては珍しいといわれていた力強い踊りをみせるゼレンスキーのペアがとても感動的だったのですが、当時はヴィシニョーワ&ルジマートフペアのほうが圧倒的に人気で、バレエ好きのHPにもほとんどが後者ペアの感想しか書いてくれなくて、残念な思いをしたものです。
個人的にはヴィシニョーワはどうも好みにあわないので、さらに云々。

ロパートキナは、確か交通事故に遭ったりと、その後の動静が気になっていたのですが、最近は伝記映画ができたりして、ヴィシニョーワ、ザハロワら同じ世代のダンサーたちと同じくらいスター扱いになったのがうれしい。

前置きが長くなりましたが。

ロパートキナ目当てなので、近年のマリインスキーの堕落?については大目に見る気持ちで観はじめる。

これまで、キーロフ時代のゼレンスキー・マハリナペアの映像と、2007年ころのヴィシニョーワ主演、2009年ころの地方公演とマリインスキーの「白鳥」を観たのですが、今回、私のなかのひとつのもやもやが解決しました。
キーロフは、これら4回の「白鳥」はすべてセルゲーエフ版だったようで、1990年代~2010年ころと20年の時代の幅(途中、ロシアが劇的に変わったのに)があるにもかかわらず、ほぼ変わらず。
いい悪いはいまいわないにして、とにかく伝統墨守ですね。

ジークフリート役のコルスンチェフ?という人はほぼ知りません。
「白鳥」は、ヒロインのオデットが2幕までは出てこないので、ロパートキナを観たい私はひたすら我慢の1幕。
ここでジークフリートに感情移入ができないと、「白鳥」はジークフリートの物語にならないのですが、そのポイントが全くない。
存在感も薄いし、ジャンプも足が下がり過ぎ。

が、それはさておいて、これは今日映像を観てわかったことですが、マリインスキーが採用しているセルゲーエフ版は、近年よくみる「白鳥」の現代的再解釈、というポイントがない演出なんだろうな、と。
だから、ジークフリートは内面を掘り下げられる必要はないし、ただオデット/オディールをリフトしていればよいだけで、全体に見せ場がほとんどありません。
今回のジークフリートの存在感の薄さは、コルスンチェフの個性、ではなくて、セルゲーエフ版の特徴なのでしょう。
キャラクター・ダンス以外は男性の見せ場はなくて、近年マリインスキーの男性ダンサーがいまひとつ、といわれる原因はここにあるのでは…、思う。
(女性ダンサーに比べ、主役を競い合ったり、努力することが少なそう)

途中から腹をくくって?、ロパートキナを観ることだけに目的を絞る。
やはり、美しいです。
オデットはすごく可憐、というタイプではない(王子の存在感が弱いせい?)けど、存在感が抜群で、優雅。
ヴィシニョー○のように、サイボーグな感じではありません。ちゃんと、血が通った感じ。

ちなみに、ロットバルトはフクロウだから仕方がないんだけど、どうも変なニワトリ(衣装と頭身のアンバランスのせい)みたい…。
ですがまあ、クズネツェフという人は、この歌舞伎メイクみたいのがすごく似合っています。

もはや、リフターとしか見えないジークフリートを思うと、ヴィシニョーワがサイボーグだった、としか印象が残らなかったのも、ヴィシニョーワの個性ではなくて、セルゲーエフ版のせいなのかも、とふと思う。
セルゲーエフ自体が、オデット/オディールにしか関心がない感じ。
(二人の愛とか、ジークフリートの内面なんか、ぜんぜん問題にしない)

場面かっ飛ばして、オディール登場。
オディールはロットバルトの娘という設定もあるせいか、髪飾りもフクロウ(ミミズク?)っぽいんだけど、ロパートキナがつけると気品があるな~。
妖艶、という濃厚さはないけれど、気の強い感じのオディールで、きりりとした踊りもスバラシイ。

ところで、ロシアのバレエ団は幕ごとにいちいちカーテンコールをするので、3幕の怒涛の後、高笑いで去っていったはずのロットバルト親子が、仲良く王子と手をつないでいたりして…、全く、何とかなりませんかねぇ。

そして4幕。
以前、マリインスキーはコールドがだめになったなぁ、と思ったのですが、これもダンサーのせいではなくて、どうもセルゲ―エフ版の演出のせいだったのか、と今回思う、
なんというか、舞台わりが平板なので、主役とコールドがごちゃごちゃに混じった感じで、ドラマ性が弱まって観えます。

なので、せっかく黒鳥が混ざってもその意味がよく分からないし、王子の裏切り(というか、馬鹿?)に嘆き悲しむオデットが群舞に混ざるシーンも唐突感があり、絶望した白鳥たちの中からオデットを探し出す王子、というシーンも、他の版ほどドラマ性が感じられません。

そして、伝統墨守なので、最後はソヴィエト時代はポピュラーだった愛は勝バージョンということはわかっていましたが…、戦いのシーンが、舞台とは違ってカメラのクローズアップのために大変よくわかり…、思わず笑う。
というのも、ファイトしているのがやはりオディットだけだから。
「呪いなんか、私の意志が跳ね飛ばすわ!」といわんばかりのオデットの気迫に、ロットバルトがひるんでいるもの。
一応、王子が片を付けることにはなっていて、ロットバルトは羽をもがれるのですが、もはやおまけでしかない感じ。

というわけで、現代の名プリマも、古いセルゲーエフ版はちょっともったいないなぁ、という感じ。
ロパートキナでさえそうなんだから、力量のないダンサーが主役では、魅力が全く感じられなかったというのも、今回分かったような気がしました。

…というわけで。
リベンジに2015年収録のグリゴローヴィチ版ザハロワ主演の映像を買うことにしました。
これもまた、疑念?の残る版ですが、ね。