pico_usagi’s blog

つれづれ鑑賞記を引っ越し作業中です!

マシュー・ボーンはセンセーショナルなのか?を「ロミオとジュリエット」で再び考える。

さて。

円安&没落の日本の影響(あと、ロシアの戦争)が、ついに海外バレエ団招聘にも影を落とすのか…と思う今シーズン。

今のところめぼしい?バレエ公演がありません。

 

…という根拠不明の理由により、渋々?マシュー・ボーンの「ロミオとジュリエット」の公演に出かけてみました。

 

ボーンは「シンデレラ」以来6年ぶり。

もはや誰がスターとかあまり関係ないので、とにかくボーンの舞台としてみる。

…とはいえ、チケット買う前にキャスト表は出してほしいなぁ…

 

みる前に、だいたい設定を確認しておく。

慌ただしく日曜の渋谷に行くことになったので、時間が全然なくて(12時開演というのは、地方在住者にとってとても中途半端)、プログラムは買わず。

だけどまあ、ロミ&ジュリは吐くほどみているので、だいたい音楽でキャラクターやシチュエーションはわかる。

たとえ、全員が白衣装でも…

 

舞台設定が現代(聞くところ近未来)というのは、ボーンにはじまっている振り付けではなく、これまでもマッツ・エクやベジャール(但し音楽が違う)、ナチョ・デュアトなんかでみたこともあり、今更目新しくもなし。

また、エクの「ジゼル」のように、クラシックバレエの非現実空間が矯正施設に再設定されるパターンも、また取り立てて飛躍があるわけでもない。

 

ただ、前回の「シンデレラ」からの流れで、ボーン自身がプロコフィエフの音楽の魔法に取り憑かれたのか、プロ氏の音楽と舞台の一体感を高演出しようとしているのがとてもよくわかりました。

生オケではないけれど、プロ氏のバレエ音楽の面白さを、つくづく感じました。

 

ダンサーは、クラシック・バレエのメソッドに慣れているとそれほど洗練がないというか鈍重なんですけれども、舞台と思えばあまり気になず。

 

なので、先鋭的な「ロミオとジュリエット」のバレエ公演、というよりは、ロンドンの下町の劇場でステージを堪能する、といった感覚がつよい。

若者役のダンサーたちも、細身・洗練されたクラシックバレエダンサーのフェアリー感はなく、ロンドンっぽい多様性というか。

実際にロンドンにいたときに感じた、ロンドンらしいイモっ子感満載で、オフィサーがまさにそう。

顔がちっちゃく、制服を着ていると上半身が太くもっさりしてるなー、と思うんだけど、腰の位置が高くて、脱ぐとなんだかセクシー♡なところなんかが…

 

ロミオが最初全然出て来ないんですが、権力者の出来損ないの息子として登場した際の存在感というか流れる?ような動きを見て、あー!と思ったのが、「ロミオ」という名詞が「果報者」という意味を持っているということ。

ある意味、正しい「ロミオ」の翻案。

 

ただ、説明にあるような「近未来」感はいうほどでなく、むしろ、ボーン自身の世代の「若者」感、近過去といったような感じが、むしろする。

 

ストーリーの肝が、「抑圧する世界」と「争う若者」といった構図、これがまあ、なんというか今の時代のリアルではない、と私には思えたのです。

 

「若者」ではなくなった私からすると、若者が革新を目指し戦う意欲を燃やしていた時代は終わり、世の中はそう簡単な構造ではないことを多くの人が気づいているわけであって、また1990年代以降お生まれの方(特に日本か?)にはそのような意欲さえないのでは…?と思うわけです。

 

そんな気がしたので、まあ楽しんでみることはできるんだけど、ストーリーに切実に迫るものはなくて、「先鋭」をみるのとは違うなあ、という気分になりました。

そういう意味ではボーンを有名にした「白鳥」以来の「イギリス社会の典型を垣間見る楽しさ」以外は特に見どころのない、凡庸なボーン劇場、というところか…

 

と、決して貶しているわけではなくて、ボーンを「センセーショナルの旗手」とみるのは誤り、という点だけは指摘しておきたい、といったところ。