2026年7月のロイヤル公演の目玉演目「ジゼル」を、それほど楽しめなかったのは過去ログにて。
今回公演でヌニェス様と人気の双璧をなすオシポワ嬢、結果として不調により降板となりましたが、そのオシポワの真価は私の中で揺れるダンサーの一人。
オシポワといえば、若い頃の超絶テクニックと推しの強い、というイメージが先行しており、近年は加齢による体力不足などが懸念され、巷にある「オシポワのジゼルはすごい」というのがにわかに信じられなかったウサギさん。
そんな中、2010年上演のサラファーノフとのペアでの映像が某類人猿チューバーにより取り上げられており、にわか(半信半疑に)鑑賞熱が高まったのですが、この映像が収められているDVDは日本発売版のみが存在しており、そして現行販売がなく、中古が恐ろしく高く、入手困難なのが現状。
…と言うわけで、鑑賞を諦めていたところ…
突如Y⚪︎Uチューブに映像が流れてきて、全幕で見ることができました。
おそらく脱法?チューブのため画像は粗い…ので、目をかっぽじってみてみました。
でも実際、DVD所有者の証言によると、そもそもの映像がかなり画質が悪いそうです。
さて。キエフ・バレエ出身のサラファーノフの当時の所属カンパニーがマリインスキーのためか、舞台としてはマリインスキー。
オシポワはボリショイ、あるいはミハイロフスキー所属なので、どうしてこのコンビが成立したのかわかりませんが、当時のロシア・バレエの事情なんですかね。
マリインスキー版は、ロイヤルのピーター・ライト版を見慣れてくるとちょっとした違和感がありますが、なんというか、全体にシンプル。
一幕でジゼルの友人による農民のパ・ド・ドゥはないし、バティルドとジゼル、アルブレヒトとハンス(ヒラリオン)の絡みもあっさりとしている。
それらはさておいて、このペア特有なのか、また新たなジゼル像とアルブレヒト像が私の中で起こる。
20代のオシポワといえば、映像に残っている「パリの炎」のジャンヌや、同じサラファーノフとの「ドン・キホーテ」のキトリのような元気印がいかにも、という感じである一方、「バヤデール」のニキヤを演じていることもあり、意外にも、今回は後者のしおしおとした感じに近い。
画質が悪く、表情の詳細がよく見えないのはC席レベルの鑑賞解像度ではあるものの(笑_怒)、ジゼルが「心臓が悪い」というデフォルト設定は、どのダンサーのバージョンも案外さらりと、ワンシーンのみの描写で流れていくことが多いのですが、今回のオシポワは割とこの設定の描写が重い。
一方、童顔&ナチュラルヘアメイク命のサラファーノフ先生は、本人が王子メイクが嫌いなのか、どうにも王子に見えないヴィジュアルが私を苦しめるのですが(笑)、ドンキのバジルもやんちゃな小学生臭があったりするところ、このアルブレヒトもなかなかにやんちゃもの。
どのダンサーのアルブレヒトでも、割とただの世間知らずのボンで、実のところ悪人でもない、というふうにしか見えないことが多いのですが、今回のサラ先生の場合、「貴族がほんのお遊びで、農民の可愛い女の子にちょっかいを出している」という、おそらくこの物語の本来的な前提が、この上なくくっきりと演じられていました。
つまるところ、一幕目のアルブレヒトは全然ジゼルに夢中なわけではなくて、軽いし、自己中。
なので、ハンスが心配するところは案外にも真実だったりする。
そして、オシポワ嬢のジゼルは、意外にも、このお気楽なアルブレヒトになんとか合わせようとして、病苦しい尺がことのほか長く、無理をしてアルブレヒトに合わせようとする健気さが全開。
大方、ジゼルは「体が弱いけど、気力が満ちていて明るい」というキャラの場合が多いけど、完全に弱い少女として、あの(!)体力有り余るオシポワが…演じているのです。
ジゼルが息苦しくふらふらしてても、アルブレヒト、全然気づく気配がありません(笑)。
パ・ド・ドゥも、仲睦まじい相思相愛の恋人たちという感じではなく、第三者的にみて、はっきりと身分差カップルがあることが見て取れる。
バチルドに「ほんの気まぐれさ〜」みたいに言い訳するシーン、殺意すら覚えます(笑)。
そして二幕目。
現代的演出では、お付きの随行は省かれていることが多く、今回のは古典により忠実な演出ではないかと思いますが、夜のお墓参りはお付きもかなり長く登場。
この段階ではまだ、アルブレヒトは自己中キャラだと思います(笑)。
マリインスキーの「ジゼル」のミルタは、美しいけどとても怖い。
迫力美人の圧ではなく、クールに、冷酷タイプ。
踊りの言語だけで女王の風格を表してきます。
カメラワークが悪いのか、死霊・ジゼル誕生のシーンは舞台の裾から駆け出してくるオシポワ様丸見えでしたが、それはさておいて。
二幕のジゼルも、単純なフェアリーでも、ヴィシニョーワ様のような「霊(スピリット)」でもない、これまたこれまでみたことがないタイプ。
明らかにアルブレヒトに寄り添っているのだけれど、ヴィシニョーワとも違う、一幕の人間ジゼルとも違う寄り添い方。
アルブレヒトには、マラーホフ型の「見えないけど感じる」タイプを期待していましたが、サラ先生の場合明らかに見えているし、なんなら掴もうとするあたり、「ジゼルが死んだ」ということを受け入れられない自己中具合が、この辺りにも透けて見える。
なんというか、みたこともない「悪い」タイプのアルブレヒトで、なんだかサラファーノフの人物像(想像上の)が今回180°ひっくり返ったような気がする。
ちなみに、あまり触れていませんが、このペアの超絶テクニックぶりは噂どおりで、めちゃくちゃナチュラルに夜のさまよえる魂ぶりを再現しているという、なかなかに恐ろしい映像。
画面が暗すぎて詳細がよく見えないのが、文字通り恨めしい。
オシポワが完全にオシポワの灰汁を無にし、本当にジゼルという無名の少女と、その霊(魂)を演じており、最後、教会の鐘とともに、ごく自然に、自然消滅していく。
と、ここでようやく、アルブレヒトは失ったものの大きさに気づいて(ここで初めて、ジゼルへの愛に気づいた感じ)号泣して、幕。
じんわりと、わりと静かな余韻を残して終わることが多い「ジゼル」ですが、これはわりと激情系、アルブレヒトの(愚かさの)悲劇、というところでしょうかね。
ジゼル=男に都合のいい女の話、とは違う、新解釈の余地が「ジゼル」がまだあったとわ(笑)。
というわけで、世にも珍しい?伝説的映像といわれるのも納得、のオシポワ&サラファーノフの「ジゼル」でした。
再販、しないのかな…、と切に思う一本です。




