pico_usagi’s blog

つれづれ鑑賞記を引っ越し作業中です!

チャイコフスキーの「眠り」とは。

 

最近実見することがない「眠れる森の美女」。

チャイコフスキー3大バレエの一つ、ではあるものの、「白鳥」ほどドラマにならず、「くるみ」ほど音楽に魔法はなく、という個人的なイメージ。

記憶をたどると、2000年代にマラホフ&東京バレエ公演、KーBALLETのクマテツ&デュランテという今となってはゴージャス・ペアでの実見、初見のノイマイヤー版で見て以来のご無沙汰です。

 

今年2月に「ゼニス〜」のガラコンでヌニェス様の踊りを見たときに、有無をいわせないゴージャスさで圧倒するオーロラに感銘を受け?、ロイヤル版の全幕映像をみてみました。

(残念なことに、数年前に単体のBDを購入したのを忘れていたみたいで、痛恨の重ね買い)

ロイヤルの現役プリンスの中では最もエレガント王子(だと思う)のムンタギロフ氏とヌニェス様のゴージャスコンビですが、なんとなくもやっとして感想が出ず。

 

そんななか、過去のマラホフ先生鑑賞(文字どおり)の際に東京バレエのダンサーにもの足りず買った、デュランテ様主演のロイヤル版がVHSだったために購入した後ながく再見することができずにいたのを、このたびDVDが中古で手に入ったので20年ほどぶりにみてみることに。

 

バレエ初心者だった当時とは違い、とにかく数だけこなした今はあらためてで気づく事は多い。

上演は1994年。みるからにゴージャス・プリンセスのデュランテ様とペアを組む王子は、老け顔なのでベテランかと思っていたら、デュランテ様と同世代だった。

ゾルタン・ソリモジというエキゾチックな名前のとおり、ハンガリー出身だそうです。当時芸術監督だったダウエル先生のハンティングでソリスト入団、わりとこの後すぐロイヤルを退団していたようで、だから「誰これ?」状態だった模様。

 

主役ペアより驚きが多かったのは、踊らないフロレスタン王夫妻の配役。

王は今は振付家としてのほうがよく知られているウィル・タケット、王妃はエリザベス・マクゴリアン。

マクゴリアンは、2010年代上演でたくさん市販されているロイヤルのBDの王妃・マダムなどの年配女性役で軒並み映っていて、例のキャンベル君同様、ほかにいないんかいな!と突っ込みたくなる存在でしたが、なんと30年以上前から王妃役を務める人だったとは。

わりとこういうサイドの役は引退して貫禄が出たダンサーに配役されるもの、と思っていましたが、二人ともオーロラ姫の父母として実年齢相応の若々しいカップル。

 

そしてカラボス。カラボスはたまに男性ダンサーが配されるのは知ってはいたけれど(そしてこの映像は過去に見ていたはずですが)、今回はダウエル先生でした。

古い映像のリマスター版では音質が今ひとつで、本来劇的なカラボスの音楽がマイルド化されていましたが、エレガントでシャープ、という綺麗め背徳的な先生の姿は、ちゃんと見たかったなぁ。

なんというかまた、舞台にかけるダウエル先生の鬼気を見たような気がします。

 

期待、というかいろいろと距離をおいてみたせいで、いろんな事をぼんやりと思った今回。

三大バレエのうち、オーロラは最も、何もしない姫であることをあらためて認識。

生まれてすぐ、自分と関係ないところで二重に呪いをかけられているし、そうした大人の事情?でわりと出てきてすぐに意志と関係なく眠りにつかされる。

三幕はジゼルともバヤデールの「異界」とも違う、幻影としての踊りがあるけれど、これもまた特に背景(本人の事情)は必要がない踊り。

そして自分の意志と関係なくキスで目を覚まされ、結婚。

 

王子は王子で、白鳥のジークフリートほど身に迫った憂愁の説明描写はなく、登場早々になぜか一人悶々としている。

その上、特に戦うわけでなく、鬱蒼とした森に一人分け入るだけでもまあ勇気がいるのかもしれませんが、善の精という第三者のお招き(導き)で、封印されたフロレスタン城へ到着。

唯一の戦いの場、カラボスの結界も、リラ様がスイっと助けてくださる始末。

よくもまあ、そんなに得体の知れない女(オーロラ)に恋い焦がれるものだわ…、そんな王子のお悩みとは?と、いろいろツッコミを感じることしばしば。

 

…このように心の汚れた大人が見るものではない、というのが「眠り」なのだということがわかる。

なんというか、一貫した、おとぎ話なのだから。

舞台の上で繰り広げられるファンタジーだからこそ、リアルは不要であり、なるほど、クランコやマクミランのような戦争経験世代の舞台人が「眠り」を最上としたのもわかるような気がしました。

 

この「何もしない」ことこそ本当に難しく、だから本当の魅力を持ってオーロラを演じられるダンサーは稀有だろうし(何もしなくても観客を魅了する「華」を持って存在せねばならず、大円団を演じられる余裕とテクニックが必要)、全ての登場人物でもって、おとぎ話であることを完結させなければならないから、「白鳥」や「くるみ」ほど上演されないのかなー、と思う。

20世紀初頭の大興行主ディアギエフにとって「眠り」の興行は夢であり、借金を生む原因を作ったというのも納得。

 

チャイコフスキーの三大バレエの魅力ををそれぞれ一言でいうなら、白鳥はリアリティ、くるみはノスタルジー、眠りはファンタジー。

「眠り」を心から楽しむことができる人は、幸せな人なのだろう、と思う。

 

余談ですが、Y⚪︎U TUBEでシュツットガルト・バレエ団員による「オーロラに求婚する4人の王子は何を考えている?」というショート・コントのような映像が流れてきて、心の疲れたバレエ・ベテランにはオススメです。

 

 

 

ルジマトフの引退公演を観てきた。

今年に入り、おそらく一番驚いたのが、「ルジマトフ引退」。

「ルジマトフ引退しちゃうの?」というのではなく、まだ現役だったんだ!という意味で。

 

1980年代後半からマリインスキーのスターだったルジ氏。

私がバレエを見始めた頃の日本における人気(評価)は絶大で、ヴィシニョーワ嬢とラブラブとのもっぱらの噂。

その人気ぶりにあまりピンときておらず、2001年ころのプリセツカヤ様主宰のレジェンド・ガラで一度だけ、金の奴隷役を観て以来…はや20年あまり。

当時も40歳近く、ダンサーとしては高齢だったはず…と思っていたら、やはり還暦は過ぎておられたようです。

 

なので、しばらくスルーしていましたが、京都に行こうかなー、とうじうじしていた頃合いに大阪公演の日が重なっていたので、戦争のために実見しづらくなったロシアのダンサーたちのガラコンを観に、と直前にチケットを購入。

全国的なホール改修問題とは関係なさそうですが、梅田芸術劇場というこぢんまりとしたホールでの公演でした。

 

若い頃からルジ氏はぴょんぴょん跳ねるタイプという感じではなく、演技派、といのも違うような気がしますが、「王は踊る」という一目めは、まさにルジマトフだなぁ、と思う。

動きを抑えて、ただキョーレツな存在感だけで成り立つのは、やはりルジマトフだからでしょう。

2001年に拝顔したプリ様ご登場の一幕をふと思い出したのですが(笑)、そう感じたのは私だけではない模様。

レジェンドにしか許されない力技は、主役のルイ14世のママ。

 

そもそもぴょんぴょんの期待はなかったルジ氏ですが、微笑ましい?レジェンド技だけではなくて、ペアの踊り「行かないで」は程よい叙情性があってよかったです。

 

ガラコンのプログラムの組み方は、2月に観た「ゼニス…」とは違ったテイストで、ロシア的王道なのかなー、と思う。

バレエ・リュスあり、プティパあり。

 

久しぶりに舞台で見た「薔薇の精」は、バクストによる伝説の例の恥ずかしい衣装より緩和された赤い衣装。

少女が赤い薔薇を持っていたのに合わせた色だったようですが、鉢巻は…どうなのかね。

個人的にはよほど脚力に自信がないとできない演目だと思っており、ボリショイのソリスト千野氏はもうちょっと…かね。

途中、薔薇の花を遠くに蹴り上げてしまい、最後どう回収されるんだろう…と思いましたが、ちゃんと少女がしれっと長めに歩いて拾い上げていました。

家に帰ったら、イーゴリ・コループ君かマラホフ先生のレジェンド映像を見直してみようと思う。

 

「シェヘラザード」はルジ氏のキャラクター・イメージが強く、直前にたまたま観ていたツィスカリーゼ先生のバージョンもそうだったけど、デニス・ロヂキンも同様になんだかぶっとい感じの奴隷で、冷静に考えると王妃の火遊び相手にしては危険でないか?と思う(笑)。

個人的にはルジ氏のたおやかバージョンの方が好きですが、まあ別物なんでしょう。

ロジキン君のパートナーはセヴェナルドで、コケットな動きが可愛い王妃でした。

 

ロシア的王道、という感じで、ヴォロンツォーワ&チェトヴェリコフのマールイ・ペアが「ラ・バヤデール」と「ドンキ」を踊っていました。

やはりプティパ✖️ミンクスは王道ならではの良さがあり、個人的にはこれまでドンキに興味が薄かったのですが、ロシア人ダンサーで全幕を観てみたいなぁ、という気分に。

ヴロンツォーワはデュアト版のBDでもニキヤ役の人ですが、私がこれまで見たニキヤとしては一番インドの舞姫らしくなく、わりとフェアリーよりの幻影さんなのはご愛嬌。

 

ルジマトフの息子はやや特別枠らしい初々しさで、もうちょっとリフトを頑張りましょう(笑)

でも、ソロのほうは荒削り感もありつつも、お父さんの野生味とは違う、良い意味で2世らしいノーブルさがあり、なんとなく秀吉と秀頼みたい。

 

…と、まあ。なんというか、レジェンドガラらしい公演で、妙に感慨深い時間を過ごしました。

ちなみに、観客年齢層高めに見えたのも、レジェンドだからでしょうかね

 

Noism「春の祭典」へ行ってきた。

 

最近、振付家・金森譲が新潟の劇場の芸術監督を退任するとかなんとかで、久しぶりにNoismをききました。

10年ほど前は21世紀美術館の舞台部門も結講ダンスイベントがあってみに行ったこともあり、でもあらためてみたのは2つだったことが判明。

 

それはさておき、YKKの本拠地にある野外劇場で例年5月ごろダンスイベントがあり、知ってはいたものの、自宅から車で1時間以上はかかるし、夜だから、ということで二の足をふみふみしていたのですが、↑のようなこともあり、金森氏のラストイベントか?ということで、頑張ってみに行ってきました。

 

公演当日は仕事だったので、ギリギリの到着。

舞台近くに駐車場はなく、事前告知のあったシャトルバスの運行最終時刻に間に合わなかった…と思ったら、最終到着客を待っていてくれたようで、さすがYKK(?)。

最後から3組目の入場でしたがボランティアの人たちもみんな親切で、スムーズに入場できました。

 

5月末は日も高く、開演19時ごろはまだ周囲が明るいシーズン。

幹線道路からほんの少し離れただけでも扇状地丘陵の中は急に森に入ったような感じで、びっくりするくらいの異境感。どうせならもっと早くきてゆっくりみたかったなー、というロケーションでした。

 

グーグル航空図ではローマの遺跡のように見えた野外劇場も、規模は小さいけれどとても良い感じ。

利賀村の劇場にも似たような…気がするけど、あちらは磯崎新で、ここは槇文彦らしいです。

なんというか、この時代の建築家は今となっては時代の先鋭さはないけれど、ロングライフでいい感じがする。

日中は真夏日のギラついた日差しでしたが、夕暮れどきはひんやりとしていて、若葉の季節で刈ったばかりの芝の匂いもいい匂い。

熊が出そうなロケーションですが、これだけ人がたくさんいれば遭遇しなさそう?という妙な安心感。

 

まだ明るいうちに開演、急いでチケットを買ったので演目をよくわかっていませんでしたが、「春の祭典」の前に「ゾディアック」という別作品が入っていたようです。

(急ぎすぎで、もらったプログラムも最初に読んでいなかった)

Noism作品については、少し戯画調な「箱入り娘」は面白いと思ったけれど、センシティブ調の振付は自分にはあわない…と思ったことがあり、今回はどちらかというと後者。

コメントとして、「春の祭典」の音に一人一人の動きを合わせた、とありましたが、最近みたショルツや有名どころのベジャールの音楽理解に比べると、まだ十分こなされていない…というのが正直なところ。最近見直したショルツ版の2つの「春の祭典」でも思ったのですが、ポスト・ベジャールではやはり「春の祭典」は難儀。

もともとこの野外劇場向けに振り付けられた演目ではありませんが、せっかくならもう少し環境性を交えたものであればよかったと思うところ。金森氏はおそらく、都市型の感性なのだろうなー、と勝手に思う。ストラヴィンスキーの原曲、ニジンスキーのオリジナル版、最も有名なベジャール版でも自然への共鳴があるような気がする。

 

1時間弱のうちに周囲は暗くなり、照明で使用されていた蝋燭の匂い(室内では無理な演出)、初夏の匂い、川の音、ときどき通る新幹線の通過音、ダンサーとの近い距離など、全てが混ざって私自身は野外劇場という環境が堪能できた点で満足。

 

 

ショルツ振付「大ミサ」

 

シュツットガルト病継続中。

 

アフター・クランコの振付家、2004年に夭折した振付家・ショルツのBDが中古で激安になっていたので買ってみました。

20世紀の物語バレエ創出と並ぶクランコのもう一つの貢献に若手振付家の育成があり、ショルツはシュツットガルト・バレエ出身(ハイデの弟子)。

映画を見る前は、ショルツは聞いたことがあるけど…、という感じで、最近聞かないのは亡くなっていたからで、それも良くわかっていなかった。

「春の祭典」でのちょっと内臓系?前衛だったといううっすらとした記憶の誤解があり、昨年のマラーホフ祭りの時に買った「ドイツ語圏ダンサー3選」DVDで唯一ピンときていなかった木村キヨコさんがミューズ。

何と無く頭を消耗しそうだったので、体調が良くなかったここしばらくは放置していましたが、今日なら見れそう(体力的に)と思ったので鑑賞してみる。

 

ノイマイヤーの文学バレエのもう一方の得意にシンフォニックバレエがありますが、ショルツ(というか大ミサ)はより純粋に壮大に、シンフォニックバレエでした。

何となくバランシンの系譜を感じさせるなあ、と思ったら、ニューヨーク・バレエへの留学経験があるそうです。

ストーリーがないので退屈するかと思ったけれど、音楽(声楽)とダンスの一体化が素晴らしい。

ただしやたら長く、2時間10分続きます。

声楽が入る「白」の時は天上を感じさせるのですが、モーツアルトから音楽が変わる突然メッセージが入り、黒の歌のない世界に。

やはり人の生と死の描写にはそのような強いコントラストが必要なのか…、と思うと時々白が戻る。

結構繰り返しの波がある抽象バレエを、最後どうやって終わるのだろう…と思ったら、一番意外な終わり方で、音楽(天井のコーラス)が続く中、いきなり床の養生をベリベリ剥がすスタッフが裾から現れたり、白でも黒でもない衣装、多分普段着に戻ったダンサーたちが無言で化粧を落としてぶらぶらしたり、やがて露出した床にみんなが座って、ただ佇み、音楽が終わる。

天上が白、地界が黒ならば、「いま、ここ」で終わった。というところでしょうかね。

 

ショルツの「大ミサ」は1998年が初演だそうですが、この上演回は2005年。追悼公演になるらしく、初演と違うのかはわかりませんが、未完成のモーツアルトの曲を振り付けたショルツとともに生きた(であろう)ダンサーたち、舞台人たちの追慕と不思議な巡り合わせに、そこはかとない感動を覚えた次第。

 

大切な人をなくして、それでも生きていかなければならないとき、今日より先にかすかな希望をもてる(かもしれない)バレエのような気がします。

 

 

 

 

 

マクミラン版「パゴダの王子」と雑感。

 

クランコ・フィーバー続きで。

 

クランコがロイヤル・バレエ時代に初めて手がけた全幕バレエが「パゴダの王子」。

聞いたことがあるような…、と思ったけど、案外出てこず、どうでもいい寄り道でボリショイの「ファラオの娘」(タイトルが似ている)を手頃な中古版で観たりしつつ、いきあたったのがマクミラン版の「パゴダの王子」。

意外にもマクミラン最晩年の振り付けだそう。

 

2010年頃にDVD化されていますが、上演は1990年。

ロイヤルの懐かしいスターたち、特に当時憧れだった?ダーシー・バッセル様主演ということで、中古にしてはプチ値上がった価格で購入してみました。

お相手は、後述するつもりですが、ジョナサン・コープ。

ロイヤルでのギエムのパートナーもよくつとめており、それなりに理由があるはず、とは思ったものの、現役当時は何と無くエキゾチックすぎる爬虫類系の容貌が苦手でした。

ギエムさまは長身な上、文字どおり恐ろしく完璧なプリマですので、私の時代ではロベルト・ボッレやマッシモ・ムッル、ニコラ・ル・リッシュなどの派手めな男子たちがパートナーを務めることが多く、「なぜこの人?」と思ったものです。

同じく長身プリマのバッセル様のパートナーも結構におつとめでしたね。

 

「パゴダ」というタイトルからしてエキゾチック・バレエ臭があり、なぜ20世紀文学バレエの巨匠・マクミランが手がけたのか、見る前は疑問でしたが、親切な日本語版解説がそのわけを教えてくださいました。

すなわち、マクミランがバレエ人生において最晩年に差し掛かったときの、若き日(と言っても夭折している)のクランコ兄との日々へのオマージュ、ということらしい。

もともとがクランコやブリテンら20世紀のクリエイターによる創作バレエであり、それを再び振り付け直す、ということが、クランコが「古典」になったことを意味する、ということがマクミランの意図にはあった、ように思います。

このへん、戦争を経験したクランコ・マクミラン世代と我々の感覚の違いがあるなあ。

 

実際に見ていて、クランコやマクミランの代名詞のような「文学バレエ」ではなく、19世紀バレエと20世紀バレエのハイブリッドのような感じで、クラシックとモダンバレエ(ただし、マイヨーのようなあくまでも物語のあるバレエ)の中間のような舞台は、後に見るノイマイヤーほど現代人の感情にストンと落ちるとこがなく、はっきり言ってあらすじを読んでないと流れがつかめないし、読んだところでただあらすじをたどっていくだけのようなしんどさがあって、正直、全幕モノとしてはあまり面白くはありませんでした。

意地悪な姉姫に「サラマンダー」に姿を変えられた婚約者の王子を探して冥土(=パゴダなのか?)を行く美しい妹姫の旅と真実の愛の発見と大円団、というのがもうちょっとメリハリを効かせてみせていただけるとよかったのですが、全体的に淡々と進んでいくし、なぜ道化がそんなにも万能(有能)なのか、さっぱりわからん。

そもそも、「サラマンダー」はバーナーに命名されるくらいだから「火蜥蜴」=赤のイメージなんだけど、ここでの衣装が緑なので、ただのトカゲでは…。

 

クランコの伝説によると「パゴダの王子は大好評だった」と言われ、しかしDVDの解説では「いまいち冗長だったクランコ版は、このたびマクミランによって改善された」的に書かれており…、しかしそれ以降もそれほど上演されていないということは…、ですよね。

2015年頃にはさらに改訂があったそうなので、より現代的な理解が進むのであれば、良き良き。

 

総体としての印象はこのようにあまり、ですが、部分的な見所は少なくなく、雑観として書いておこうと思います。

 

ダーシー・バッセル様はこの新作にはあっていないような気がするが…、クラシック演目だったならば文字どおり流麗だったのだろうなー、と想像。わりと正統向き。

 

しみじみ思うのは、病身の皇帝を演じたアンソニー・ダウエルの舞台人としての魂。

芸術監督時代は実際どうだったのかよくわかりませんが、収録時の近年まで第一線で王子だった人がこんなにも渾身にヨレヨレの老人を演じ切ってみたり(しかもダンサーとして)、別の舞台では若い妻とすれ違う年の離れた哀愁の夫をやったりと、その変幻自在っぷりが半端ない。

これが往時のロイヤルなのか、と思う。

 

そして最後に、ジョナサン・コープ。

現役時代に「地味」に見えた彼が、なんでギエムのパートナーだったのか、今回わかったのが最大の収穫。

よほどサポートがうまいのか、と思ったけれど、それももちろん、かなり器用に完璧にいろんなことができる人のようです。

サラマンダーと王子を同じ幕間で演じ分けるのは実際かなり大変だと思いますが、この素早い切り替えがどちらもそつなくできておられます。

文字で書かれるほど「醜い」と見えなかったサラマンダー(しかし緑色)の衣装ですが、サラマンダー役ではちょっと爬虫類っぽい動きの振り付けがモダン寄りになっているように思われ、それをすごくうまく踊りこなしている。

ここで、現役時代に知っておきたかった、と悔やまれた次第。

 

余談ですが、2005年に初めてロイヤルの公演を実見する機会があって、仕事のシフトの関係や何やら色々悩んだ末に、「どうしてのバッセル様がみたい!」と心を決めてみたのがアシュトン版「シンデレラ」(ちなみに、もう一つの可能だった選択肢はギエム姐さんの「マノン」)。

「シンデレラ」はプロコフィエフの名曲にみあう決定的な振り付けがない、と以前もいった不満があったものの、出演者の引力に勝てず。

この時の当初キャスティングがジョナサン・コープだったのですが、当日「持病の内蔵疾患が悪化して降板」と貼り出され、その文字面が結構衝撃的に鮮烈な記憶となって、個人的には思い出深い。

 

今回改めてプロフィールを調べてみると、若くしてプレッシャーに悩んで一時的に退団していたり、引退を決めたのに引退公演直前で交通事故にあって出演できなくなったりと、私の思い出深い「内蔵疾患(てなに?普通書く?)」と合わせ、踊り同様になかなかセンシティブなお方だったのかなー、と、これまた妙なところでしみじみしてしまいました(笑)。

 

 

シュツットガルト・バレエ「マイヤリング」

先週の映画鑑賞で私的には盛り上がったシュツットガルト・バレエですが、実際に入手可能なソフト数は圧倒的に少ない。

壊れたB D「ロミオ&ジュリエット」も国内版で買い直し、改めてマルティ・パイシャのマキューシオに感じ入ったところではありますが、もうちょっと…、何かほしい。

 

と思ってY⚪︎U TUBEで「Friedeman Vogel」を検索したところ、出てきたのがマクミランの「マイヤリング」。

知らなかったのですが、2020年のコロナ期に劇場が1日だけ全幕公開していたそうです。

それの横流し…となるのか、映像画質が悪く、海外ユーザーなので最初は「ほんまにフォーゲル君かいな?」と疑っていたのですが、見ているとあの身体の使い方はV君しかない、ということで視聴。

最後まで、ダンサーの表情はほぼ見えなかったけど、まあ劇場3階A席くらいの解像度と思えば見れなくもない。

 

2015年のフォーゲル氏のレンスキー→オネーギンの転換すら当初懐疑的であったように、「マイヤリング」の主役・ルドルフはお葱以上の、バレエ史上最悪のダメンズ。

「人がいい」を絵に描いたようにしか見えないV君にはさすがに向いてないのでは…と危ぶんでおりましたが。心配ご無用。

さすが、フォーゲル君。表現者です。

あの複雑でだらしない男はムハメドフを超えて再現できる人はいないんじゃないか、と思っていましたが、ムハ氏ほど変態的でなくとも複雑なステップに重々しい感情を添えて、張り合うくらいに難解な役を演じ切っておられました。

 

ちなみに、今まで見た「マイヤリング」は、ムハメドフとエドワード・ワトソン主演のいずれもロイヤル・バレエの映像のみで、舞台を実見したことはありません。

とても暗く、気が重くなる舞台ですが、あのドイツ的(当時のウィーンは大ドイツ主義の中心)な重厚な雰囲気は好きなので、ベジャールの「リング」と並んで死ぬまでに一度は実見したい演目ではあるものの、引越し公演をしてまでやってくれる劇団はもはやなさそう。

 

…話はそれましたが。

「マイヤリング」は基本的に、「最後の皇帝」(実際はもう一代いる)と言われたハプスブルク家のフランツ・ヨーゼフ帝の守旧的態度、当時の新興ドイツ(プロイセン)との拮抗や、イスラムからの防波堤という長年の大義を失った「オストライヒ(東の帝国)」=オーストリアの政治的な立ち位置、「美貌の皇后」と呼ばれた複雑な性格のエリザベス、これらに挟まれた皇太子ルドルフの苦悩がキモであるため、全幕ものにしては珍しく、典型的なヒロインは不在です。

ただ、重要な3人(ないし4人)の女性たちがおり、彼女ら全ての性格(立ち位置)が際立つように演じられることができるダンサー、すなわちプリンシパル級の女性ダンサーが必要であり、これができるカンパニーは実に限られてくる、と思います。

ムハメドフ回ではマリー・ヴェツェラ役のヴィヴィアナ・デュランテの存在感が圧倒的で、本筋的にはそれほどマリーは主役ではない(実際、ワトソン回ではあまり印象に残らず)と思うのですが、自らヒロインに躍り出た感すらある。

なので、彼女を超えるマリー役はないと思っていたのですが…。

いました。今回映像でほとんど顔は見えなかったけど、身体の動きでわかりましたよ、エリザ・バデネスさん。

 

エリザ・バデネスについては、前回の来日公演で椿姫にしては幼いのではと思ったり、どうしてもジュリエットやオリガのような年下&天真爛漫娘感が先行してしまう傾向がありましたが…、やはりシュツットガルトの看板、演技派です。

(いつもナマ言ってすみません…)

史実のマリーは17歳、ようやく社交デビューしたばかりの世間知らずなお嬢さん、というところですが、デュランテ以降の役どころとして、若いだけでなく、死に対してどこか陶酔的であり、そこにルドルフを呑み込んでしまうような魔性すら感じるのですが、こうした複雑な人間像を、あんなにキラキラして見えるバデネス嬢が演じておられるので…参りました。

 

ちなみに、三人の女には他に愛人のラリシュ夫人、妾で酒場の女主人・ミッツィ(またはエリザベス皇后)がおり、ムハメドフ回では結構あっさりとしてみえた人々の中で今回印象に残ったのがラリシュ夫人。

失われつつあるルドルフの関心を若い愛人(=マリー)の紹介で繋ぎ止めようと、年上ならではの愛情と悩みを見せつけるところがすごく印象に残るな…、と思って後でクレジットを見たら、BDでタチアナ役だったアマトリアイン様だった。納得。

 

親ハンガリー派ともいわれ、フランツ・ヨーゼフに請われて嫁いだにもかかわらず姑とあわず、といわれたシシー。

その決定的?なシーンも描かれており、これまた画像が悪いにもかかわらず、はっきりわかった皇太后役のマリシア・ハイデ。

「マイヤリング」のシュツットガルト公演は2019年らしいので、御年80歳!

ジュリエットやタチアナの乳母のような「可愛いおばあちゃん」ではない、怖い皇太后役をピリリと演じられておりました。流石の元祖シュツットガルトの女優魂を見た感じです(笑)。

 

…とこのように、めくるめく演劇的舞台はやはりシュツットガルトならでは。

クランコ振付ではないけれど、これもソフト化して欲しいな…。日本上演が難しいならば。

 

 

映画『クランコ』を観てみた。

3月に日本公開になった映画『クランコ』。Googleでやたら予告を推してくるので気になったところ、ようやく地方巡回があり、観てきました。公開期間がたった1週間の、1日1回上映なので、スケジュール合わせが大変。

予想とは違って、何というか、とても淡々としたフィルムでした。

鑑賞専門のバレエ愛好家としては、20世紀バレエの大恩人・クランコの映画というものはとても興味深いものですが、一般的に楽しめるかはビミョー。

思うに、知ってる前提が多い映画です。

 

フィルム全体はとても1960年代の時代の雰囲気が濃厚で、シュツットガルトという街とあわせてとても美しい。

全編を通してドイツ語だったのもよかった。主役のサム・ライリーもイギリス人、クランコ自身も英語圏の人なのでセリフが英語でもよさそうなところ、でもあの時代のドイツ地方都市の物語としてはドイツ語が合っている。

バレエに詳しくない人にとって振付家というのはよくわからない存在でしょうし、それだけに通常詳述されない振付家の半生を描く映画は、うっかり全てその通りだったと鵜呑みにしてしまいそうな危うさがありますが、この映画はそうならない程度、ある意味幻想的にまとめることによってドキュメンタリーの濃度を下げているようなところがあると思いました。

(なので、バレエに興味のない人にとっては一層のちんぷんかん必定)

 

事前情報で現役の団員も出演しているのは知っていましたが、ダンスだけでなく演者としてもかなり前面に出されていたのは意外でした。特に、ジェイソン・レイリー氏が前半のキーマンを役者として果たしていたのは驚き。さすが演劇バレエが得意なカンパニーのベテランプリンシパル。

歴史的カリスマ・ハイデに対し、同じラテン系以外に共通点のなさそうなエリサ・バデネス嬢の配役にも懐疑的だったのですが、無名時代のハイデの若気(映画の中では「もう24歳」といわれるところなので、初々しいという役どころでもない)ともマッチしており、映像作品でも程よいリアリティを添えていました。

クランコの幻視として時たまトートツに現れるダンサーとして以外、思いのほか登場が遅い現役スターのフォーゲル君は、レイリー氏とは違い、役どころしてはちょっとヒール(クランコに対しやや保守的で国粋的な立場)の配役だったのもまた意外。

役のせいかもしれないし、なんとなく硬い感じの演技がその配役になったのかしらん。

まあ、長らく(おそらく)唯一の「シュツットガルト出身のダンサー」という珍しい立ち位置にあったことも何かしら重なる所はある。

 

それにしても、なんとなくマクミランに比べて人の良さそうな印象のあったクランコですが、やはり振付家というのは厄介だなー、と思う。

総合的な一幕のために、時にプリンシパルダンサーの鼻をいとも簡単にへし折ったり、肉体的な酷使をしいたり、完成に間に合わない時には切り捨てたり、と。

ダンサーも大変だよなー、と思うし、なるほど、冒頭からクランコの孤独がやたら強調されてきたのもそんなわけかいな、と、見終わったいまはなんとなくわかるような気がします。双方はチームで、同志だけど、同じではない。

とてもフレンドリー(家族的)でもあり、しかし芸術至上主義の冷徹さがあり、繊細でもある。すごく劇的ではないけれど、サム・ライリー(サム・ライミと似てるな)はとてもうまく演じていました。

 

フィルムの中ではクランコ版ロミ&ジュリが生まれる瞬間が興味深い描写で描かれていて、以前BDが壊れて買い直しを渋っていたムーア&バデネスペアのソフトを買い直すことを決意。

できれば、Y⚪︎U TUBEで流れてきた1970年代のハイデ&クラガン ペアの古い映像をソフト化してほしいものですが…。

「オネーギン」音楽秘話も、文字の解説文ではピンとこなかったオペラ版と音楽の違いがこれで覚えられそう。

 

余談ですが、団員達の通うパブがギリシア人パブだったり、同性愛者の恋人に外国人肉体労働者が多く出てくるのも、工業都市・シュツトガルトの当時の現実だなーと、しみじみ思う。

(1990年代のギリシア旅行の際、英語よりもドイツ語が通じることがあり、その理由を出稼ぎ事情だと聞きました)

そして、当時のイギリスにおいて同性愛者が「罪」とされていたこと、それを「なかった」ことにしようとする今日勢への異議申し立ての気分を、改めて感じたりもしました。

 

…とまあ。

個人的にはいろいろ興味深く、2時間オーバーのめくるめく時間、結末はどう見ても知っている(クランコの機上での劇的な急死)という予定調和なフィルムを万人にお勧めできるものではありませんが、もしソフト化されるようであれば永久保存版として購入しておきたいと思う一本。

ラスト、今生きている限りの関係者(ユルゲン・ローゼやハイデ以外も)と演者が一緒にクランコに花を手向けるシーンはとても感動的。

やはり、このようなシュツットガルトの伝統の日は消えて欲しくないし、フォーゲル君やレイリー氏より若い世代の充実を心より望みます。