pico_usagi’s blog

つれづれ鑑賞記を引っ越し作業中です!

中欧旅行で考えたこと②

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アウトバーン

ベルリンはほぼ3時間の滞在でOUT.

ドイツは地方ごとにソーセージが違う、と前回の旅行ではしみじみ体験したものですが、今回のツアーではベルリンはカリーヴルストが名物、と言われ、半信半疑でしたが、現地っ子ぽいガイドさんもそういってました。

ホントですか…?

 

食事のあと、アウトバーンを通ってドレスデンへ。

なんでドレスデンなんだろう、と思っていたのですが、地図を見るとチェコとすごく近い。そうか、ドレスデンも東だったんだな~と。

だから、小さい頃は「絶対にいけないところ」だと思っていた節があり。

でもなぜか憧れていたドレスデン。なぜかは思い出せません。音の響きのせいか?

 

しかし大人になって、ドレスデンは第2次大戦でひどい爆撃を受け、古い建物はほぼ壊滅、ということを知り、「どうせ何もないのでしょ~」と期待もそこそこにバスに乗っていました。

 

ベルリンードレスデン間はグーグルマップの所要時間が2時間位になっていて、ヨーロッパは飛ばすって聞くしな~と甘く考えていましたが…、ヨーロッパのツアーバスの走行は規制をきちんと守っていることが判明。おまけに、日曜日のせいか(規制中?)、渋滞にはまり、かなり時間がかかりました。

海外で長距離バスに乗った経験はキューバハバナサンタクララ間で、10時間のところ6時間で着く、ということがあり、そんなものだろう…と多寡をくくっていたのですが。

 

そんなこんなで、ドレスデンについたのは午後4時過ぎくらい。

しかも、このあとプラハに行かねばなりません…。

 

なんという無謀ツアー。

しかし、感想は次回に。

 

 

中欧旅行で考えたこと

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ベルリンの壁

ベルリンは、2003年のドクメンタへ行ったついでに、カッセルから電車で立ち寄ってから2回目。

当時は「ミッテ」地区の再開発が話題になっており、ソニーセンターなど、新たに建築された現代建築を美術館巡りと抱き合わせて廻ったものです。

ホテルは「フォーラム」という、アレクザンダー・プラッツ付近にあるいかにも共産主義時代的な大ホテルで、まだまだ東地区は怖いなー、と思った記憶があります。

 

今回も基本的には東ベルリン地区を通った感じで、博物館島(しかし今回はミュージアム見学がいっさいなし。まあ、ペルガモンは一度行ったし、現在は改修工事中とのこと)訪問などがありました。

何気に、ベルリンの壁も崩壊から30周年だったようです。

今の若い方はあんまりピンと来ないかもしれないけれど、私の子供時代はまだ「東西対立」というものが現実に残っていて、歴史の資料集なんか見ながら、ペルガモン博物館なんて絶対にいけないだろうな~(=東側だから)、と真剣に思っていたものです。

 

この壁を越えようとしただけで射殺される、というのは現実で、『サイボーグ007』の004ハインリヒも、ベルリンの壁を越えようとしてサイボーグになった、という設定もあった時代。

 

前回も訪れた時には少しうるっときたような記憶(というか、ベルリンで戦争をかなりし感じた)がありますが、今回は現地ガイドさんの話から、壁の東西、というものが現実だった人の肉声を聞くことができ、興味深かったです。

 

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もっともよく知られた壁画

何気にみえる壁の上方の丸い仕上げの部分が石綿で、濡れるとヌルヌルになり、登りにくくなるのだとか。

説明がないと、ただぼんやり見てしまうところですよね。

 

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壁の西・東と、テレビ塔

 

前回の訪問からすでに16年経っているわけですが、付近にはメルセデスベンツの大きな社屋(センター?)なんかも経っていて、都市の再建は一層進んでいる様子。

ただし日曜日だったので、すごくのんびりした街の風景だったように思います。

 

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アンペルマンを撮影。ほとんど車通りのない朝のベルリン

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シンケルの建築で有名な旧博物館

ベルリンは建築のスケールがとにかくに大きい(物差しが違う、というか基礎になっている人体自体が大きい、といった感じで)、と思ったのが前回でしたが、今回は駆け足だったせいかすぐになじみました。

 

ちなみに、メルケルさんのアパートメントの下を通りました(警官がうろついていたので、ガイドさんが教えてくれました)。

博物館島のすぐ近くで、日曜日なので蚤の市が出てました。

まだ準備中でゆっくり見られなかったけど、アンティークの卵スタンド(ドイツ人はゆで卵スタンドが好きだなあ、と思う)を見たかったです。

 

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ブランデンブルク門

前回は改修中で全貌が見られなかったブランデンブルク門も、今回は通り抜けることができました。

 

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ブランデンブルク門を後ろから

ちなみに、ツアー旅行なので効率よくトイレ休憩を入れていただき、この付近のホールで皆で列をなして待っていたところ、ガイドさんが「泥棒がいますよ」と警告してくれました。

スリのイメージといえばショボくれたおじさん、というイメージがありますが、現代は若い女の子が多いとのことで、この日注意されたのもエキゾチックな風貌だけど現代的な格好をした若い2人でした。

観光客かなぁ、とか、学生かな、と思った人だったので、なんとなく、ヨーロッパの移民社会の現状を垣間見たような気がします。

 

ちなみに、みんな日本語で「泥棒」を伝え合ったので、なんとなく警戒感が伝わったらしく、すごく自然に何もなかったようなふるまいをして彼女たちは姿を消しました。

 

 

中欧旅行

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プラハ2019

 

引っ越して初めての記事です。

 

さて。

 

ここ2年ほど夏休みをとっていなくとも指導の入らない、ブラック職の私ですが、ついにいろいろ嫌になってしまい、家族がいわゆる[働き方改革」余波で計画的有休&旅行計画を立てたのに割り込み、17年ぶりにヨーロッパ旅行へ行ってきました。

 

割り込んだので選択の余地なし、ツアー&超弾丸の旅、かつ、実質3日内3か国5都市を廻るというとんでもない企画でしたが、一人旅行ではなかなか生きにくそうなチェコが入っていたので、ベルリンもウィーンも、大きな観光スポットは既に行ったことのあるツアーでしたが、なかなかに充実した旅でした。

 

個人旅行ではつい美術館ばかりはいって所要時間がつぶれ、案外街をみない旅が続いたものですが、こうなるとかなり効率よく「観光した」「街歩きした」旅でした。

 

プラハも実質2時間ほどの滞在なのですが、観光エリアはとにかく建築が素晴らしく、これほど石畳を歩いたのも一生ないかも。

噂ではこの日、20キロ歩いたそうです。

 

今回の唯一の達成目標は「ミュシャのステンドグラスをみる」だったのですが、学生時代はカフカにはまった時期もあり、あの頃はチェコのひとはみんなドイツ語文化圏にあるんだ~、などとのんきに思っていたものですが、それはさておき。

あの『城』のモデルがプラハ城だと思ってドキドキしていたのですが、当日は晴れていたせいか、ひたすら、美しい城にしかみえず、カフカが感じたあの「不条理さ」の正体は何だったんだろう、という新たな疑念に悩むこの頃。

 

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カレル橋からプラハ城を望む

それにしても、カフカの生家は観光地のど真ん中。プラハ城の近くにあって、ますます謎は深まります。

 

「シンデレラ 問題」をマシュー・ボーンで考えた。

今年は自分のテンションなのか、世の中なのか、バレエイベントがほぼ皆無。

これがまた変なストレス?になり、迷いましたが、マシュー・ボーンの「シンデレラ 」を観ることに。

マシュー・ボーンはできればもっとコンテンポラリーな演目で観たいな~、というのと、ピークを過ぎているのでは?、という懸念があり、なかなかの賭け。

よほど改変があればプログラム買うか~
、と思い、一幕目がわりと王道だったので、今回は買わず。

さて。

薄っすら、第二次世界大戦ころが舞台、というのを前もって聞いていたことを途中思い出し、観る。

プロコィエフの作曲背景も、時代的に戦争がかかっているので、編曲はあるにせよ、これはかなり合う。
プロコィエフの「シンデレラ 」の暗さ、そうそう魔法の音楽なよのね~、と久々に思い出し、テンションは上がる。

しかし…。

結論からいって、王道だった。
マシュー・ボーンなのにハッピーエンド⁈、というところで狐につままれた気分になりますが、まあ、思い返せば、「くるみ割り人形」もハッピーエンドだった気がするので、マシューかいつもハスに構えているわけではないようですが…。

マシューにしては(失礼)音楽に対する振りが主になっている、というのはプロコィエフ好きとしては楽しめたのですが、ここで例の問題が。

「シンデレラ 」という物語の限界、という例の問題。

おとぎ話はおとぎ話で、現代性とは相容れない、という縛りです。
異説の入り込む余地のない物語を、革新的に描くことができる振り付けは…無理なのかちらΣ(゚д゚lll)

マシューの「シンデレラ 」はマシューにしてはあっさりしているのですが、微妙に感じたことを最後に一つ。

それは、イギリスは戦勝国であり、それを日本は敗戦国の日本でみせる、というのは、みせる側として何も思わないのかなぁ、ということ。

ここで描かれたのは政治的メッセージではなく、やはり戦争の悲劇は、ふつーの人の日常が本人の意志に関係なく戦争に巻き込まれてしまうこと、と考える私には、ラストの、戦争が終わって日常が戻る喜び、というものが感動的だったのですが、そこはなんだかフクザツ_(:3 」∠)_

古都りっぷ

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今年は暑いですね。

忙しい日々が春と初夏を奪って、夏休みもままならないまま、代休ライフ(´-`).。oO

土日はあまり休めないのと、暑くて都会にも行けない壁にぶつかりちう。

とはいえ、家の中も暑いので、迷った挙句?、ようやく35度を切る奈良へ行くことにしました。

7月に仕事で行ったときは39.8度だったから、まだ涼しくなった方でしょう(笑)。

8月中に展覧会が終わってしまう奈良国立博物館以外、とくに観たいものがなかったので、ここ2年ほど通った奈良でも最近は素通りしていた観光に励むことに。

とおるは奈良町、目指すは新薬師寺。新薬師寺は意外と行ったことがない。

猿沢池より南へ行くのも久しぶりですが、季節柄、また朝に家を出ると程よい頃合いだったので、そうだ~、奈良といえばかき氷!ということで、『ほうせきばこ』を目指すも…、見落とした模様。

暑い最中いちいち地図をみるのも面倒なので、次に目星をつけていた「佐久良」を目指すことに。

とくに葛餅が好きなわけではありませんが、夏になるとモーレツ探してしまう葛とわらび餅(*´-`)。

佐久良は葛餅専門店…という触れ込みですが、行ってみると、びっくりするほど狭かった。
し、お店には乾き物しかないような…。

お店はすいていましたが、ご高齢夫婦だけで切り盛りされているのか、通されるまでしばし待つ(*´-`)。

おしゃれな、というよりは、親戚のじーさんのお家に行ったような感じの座敷でメニューをみ、慌ただしくかき氷を注文。

後から思えば、炊きたてで作ってくれるという葛餅か、冷やぜんざいにすればよかった…と後悔しつつ、しばし待つ。

でも、出てきた白雪黒蜜ミルクは、美味しかった(*´-`)。

地方暮らしでは、ふわふわかき氷の名店はなく、止むを得ずファミレスで食すも、ふわふわならなんでも美味しいわけではないんだ…、と実感する昨今、かき氷専門店ではありませんが、さすが奈良。
氷は繊細だし、蜜は美味しいし、餡子が美味しい。
葛餅も入ってるけど、以外に二色の白玉と2粒しかない黒豆も、全てちょうどいい感じ。

さて。

次に目指すは、人気店らしいカフェですが、12時前には入りたいところ。
でも帰りは新薬師寺で博物館へ向かって折り返すため、この辺りは戻ってこないので、最低限の寄り道を決め、これも有名電車らしい和菓子のお店『樫舎』へ少し戻る。

正しい正面から来ず、ショウウィンドーをみず来たせいか…、入った瞬間、「お持ち帰りですか?」ときかれ、案内されたのが、どうみても少数の乾き物の前。

これが一見さんというやつでしょうか…。
餡子が欲しかったのに、「生菓子は?」という言葉が出なくて、どうみてもみたままにしかみえない干菓子を凝視。

けして見えないものを勧めることはない接客態度のお姉さん(若い)の意図は不明のまま、とりあえずの流れで予定外の干菓子と煎餅を買いました。

お会計をしていると、見目美しいかき氷が運ばれて行く…、佐久良の渋いかき氷もよかったけど、こちらはキラキラが段違い。
ここは現地で食べる和菓子屋だったのか…、とがっかりして帰ると、ショウウィンドウに生菓子がみえました。゚(゚´Д`゚)゚。

システムをさきに教えてよ。

でもなんだかかんだあって、帰りに久しぶりに家で抹茶飲むことを思い出したので、結果、このお煎餅がとても美味しいことがわかりました。
この日は久しぶりにすずしかったので、ビバ(*´-`)

とはいえ、最中はちょっぴり気分を落として東進。
有名店というカナカナへ12時前到着。
どうも大団体が入っていたらしく、しばし待つ。
雰囲気も良かったですが….、私にとっては奈良あるある、少し味付けの濃いご飯で、評判ほどは満足ならず。

奈良漬しかり、奈良の料理は意外とフレが大きいですな。

昼下がり、さすがに暑くなってきましたが、ひたすら新薬師寺を目指す。
観光客どころか人影はほとんどない高畑町界隈ですが、立派なお家が多いので、勝手にお宅拝見(外観に限る)をしながら目的地へ。

ふと、山が近くにみえてびっくり。
地図を確認すると、緩やかに上ってきたため気づかなかったのですが、かなり春日山付近らしい。

薬師寺もほとんど人がいなくて、奈良らしいな~、としみじみ参拝。
昨年までの御礼参りを締めました。

ここからグーグルマップで約20分の奈良博へ、志賀直哉亭近くを通ってひたすら歩きました。

博物館で涼んで、帰りはうんざりするほどよく通った奈良公園の表通りから近鉄の駅へ。

楽しかったけれど、ちょっと燻ったので、帰りは京都駅でリベンジを企てる(⁎⁍̴̆Ɛ⁍̴̆⁎)。

たまたま、伊勢丹で「梅園」の新しいお店の方のイベント出店をやっていたので、すぐに心を決め。
ふだん紫野は絶対行かないスポットなので、これはもう出会い。

生菓子は日持ちがしないので、悩んだ末、フランボワーズとお豆を買いました。
フランボワーズは電車に揺られて飾りが崩壊していたので、お豆で撮る。

先に、若女将の新開発で話題になっていた亀屋良永でがっかりさせらせていたので、ちと疑心暗鬼気味でしたが…、梅園はいいですね(*´-`)。
素材と若い感性がマッチしてる感じ。
足し算引き算ができる京都、というところ(*´-`)。
暑い季節はさっぱりしたお菓子のほうがいい。

というわけで、9時前には家に帰れそうだったので、そうだ、家でお茶立てよ~、と帰りは持ち直しました。

この後、通しで営業しているのでとくに夜は便利な「はしたて」で、早い時間の晩御飯を決めると、鱧素麺があったので、夏らしさ全開(*´-`)。

ここはいつ来ても、季節ごとにメニューが変わるので、季節の味を手軽に楽しめるところが好きですな。


…というわけで。
最後は京都に癒されてかえりました。

ノイマイヤー『タチアナ』

オペラはみたことがありませんが、うまく演じられればブラボー間違いなしのクランコ版『オネーギン』。
古の文学少女(笑)にはたまらない、文学バレエです。

クランコ版がそうなのか、は知りませんが、とにかく映像ソフトの乏しいお葱。
前にも書いたけど、シュツットガルトバレエのフリーデマン・フォーゲル君のスバラシイお葱をみた後、時どき復習のように観たいなぁ、と思うのですが。

冬にハンブルグ公演を見に行ったとき、売店でノイマイヤー版のお葱もとい『タチアナ』があったので、ソフト不足の気分を慰めるために購入し、ようやく観ました。
前情報まったくなし、どうみても怪しいジャケット(お葱がスキンヘッド)だったのですが、背に腹は代えられず。
知らなかったのですが、何年か前にNHKのテレビで上演されていたらしい。
2014年の初演らしいです。最近作ですね。

男性ダンサーが一度は演じたいという『オネーギン』を、わざわざ、オネーギンの相手役(ただし、恋は成就しない)タチアナに変えて、どうするんだろう…と思いましたが。
結果、かなり『オネーギン』でした。

『オネーギン』は音楽も聞きたかったのですが…、こちらはオリジナルらしい。
何か聞いたことがあるな~、と思っていたら、『人魚姫』と同じ作曲家らしい。
どおりでテルミン臭い…、と思った。

おおむね、文学作品のオネーギンと同じ流れ。
タチアナの描写は、文学(というか物語の世界)に没頭する妄想少女である部分が立体的に表現されている、とは思うけど、タイトルほど内面描写がされていないな…と思いました。
終始、何かにおびえている感じで、むしろ自分の失恋を最初から予感しているかのよう。

前半はタチアナ主役、の流れではオネーギンの描写は非常に非人間的。
ある意味、「田舎へやってきて退屈している都会のインテリ青年・お葱」を現代的(象徴的)に描写したらああなのかな、と納得はする。
『ベニスに死す』の紅顔の少年・タジオもまた適役だったエドウィン・レヴァゾフ君、スキンヘッドでうって変わって、その非人間感が増幅。
新世代のノイマイヤーに欠かせないキャラクターのようですな。
とても長身らしく、異形感が半端ないです。

後半は、お葱も人間なんだな~、と思うくらいお葱の人間描写が増えて、そういう意味では構成が…もうちょっと整理されたし、という感じ。
個別にみれば、それぞれ良いのですが。

都会的なアイコンとしてのお葱と対照的なのが、レンスキー。
クランコ版ではちょっとだけ出てすぐに死んでしまうレンスキーですが、今回結構出番が多く、オネーギンとの関係で重要な描写が大かった。
し、リアルにイモっ子としての実在感ある描写がよくできていたなぁと。
あの髪型とチェックのシャツには既視感が(笑)。

…とまあ、冗談はさておいて、レンスキー役のアレクサンドル・トルシュは、オネーギンと対照的な純朴さ、人間らしく感情移入しやすいキャラクターがよく表現できていたと思います。
そして実は、馬鹿にしつつもけしてお葱が手に入れることができない、純粋さの象徴でもあるよう。
彼の死の後悔のほうが、タチアナとの関係性よりも深く描かれていた…ような。

そして終幕。
クマさん役から始まって、人のいい夫へと見事昇華する愛すべきキャラ カーステン・ユングと結婚し、侯爵夫人となるタチアナ。
でもね、タチアナにそんなに変化がみえないのよ…。残念。

原作では、すっかりあか抜けて社交界の華となったタチアナを見、彼女を冷淡にあしらった過去を後悔するオネーギン、そして今さら復縁を迫って拒絶される、というところですが。
ここでのみどころはやっぱり、お葱なのですよ。

あー、これ、男子あるあるだなーと思ったところですが…(怖いよ。笑)

なんというか、若い頃はバカにし腐った社交界に、もはや自分のほうが存在感を示すことができなくなっている、馬鹿なオネーギンの末路。
前半とうって変わって、オネーギンの姿はもはや滑稽にみえます。
男子諸君、20代の時に身の丈に合わない高慢に酔っていると、30代に入るときにこうなるよ!てことで(笑)。

↑もはや、タチアナ関係ねえ。

…というわけで、何も『タチアナ』にしなくて、ノイマイヤー版『オネーギン』として練り直してくれないかしら。
ノイマイヤーはあまり女性の内面に興味ないのかな…、何て思ったりもします。


ロダンの「接吻」

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1980年代か1990年代前半の漫画で、原田梨花という漫画家の短編集に収められていた作品に、ロダンの有名な作品「接吻」が大学のキャンパスにあり、冷めた女子大生の心象を表すモチーフになっていた、というのがありました。

題名は忘れたし、原田梨花の作画は今ひとつ好きでない(目が苦手)のですが、東京生まれらしい独特の冷めた感じが、なんとなく、「らしいな」と思う作家。

このお話を読んで、ものすごくロダンの「接吻」をみてみたい!という気になって、西洋美術館にあったっけ…と思い、ロダンコーナーへ行くも、なんだかしっくりこず…。
イメージが違うな~、と思っていたのですが、その理由が今回ようやくわかりました。

だだ今横浜美術館のヌード展で展示されている、テート美術館所蔵の大理石バージョン。これだったのですねー。

(このママ作品が日本の大学のキャンパスにあるわけはないので、あくまでもフィクションです)

大過ぎてほどんど「接吻」がみえませんが(笑)、彫刻鑑賞の醍醐味、量感と大理石の質感が圧巻でスバラシイ。

どうみても男性の手が大きすぎる気がするのですが、その効果たるや。
ロダンは批判的に「人間から直接型取りした」と言われたとか、というエピソードがありますが、そうじゃないだろう(*´-`)。

ママ、ではなくて、あまりにも感情を揺さぶる造形に仕上げてくるのて、そのリアルさ(実在感)が、人の感情に作用するんでしょうね。

ちょっぴり、男性よりも女性のほうに積極的な意思を感じますが、それはさておき、この手が好きだな~。
こんな抱擁をされたら惚れるわ(笑)。
私的には「接吻」というタイトルよりも「抱擁」というほうがいいと思うけど、これはロダンがつけたわけでなく、批評家らしいです。

ダンテの『神曲』に出てくる悲恋のカップル(不倫または不貞)がモチーフになっているそうですが、この際どうでもいい。

やっぱり、ただの人間の像を作って人の感情を揺さぶる、ロダンはすごい。

ただ、残念な話として、このモデルはテキトーな若い男女に何度もポーズをとらせて作っているそうで、両者の間には何の愛情もない無味乾燥のエピソードをきいたことがあります。

ここでも、現実と芸術は別物らしい。

だからこそ、ロダン恐るべし、ですかね。