pico_usagi’s blog

つれづれ鑑賞記を引っ越し作業中です!

「シンデレラ 問題」をマシュー・ボーンで考えた。

今年は自分のテンションなのか、世の中なのか、バレエイベントがほぼ皆無。

これがまた変なストレス?になり、迷いましたが、マシュー・ボーンの「シンデレラ 」を観ることに。

マシュー・ボーンはできればもっとコンテンポラリーな演目で観たいな~、というのと、ピークを過ぎているのでは?、という懸念があり、なかなかの賭け。

よほど改変があればプログラム買うか~
、と思い、一幕目がわりと王道だったので、今回は買わず。

さて。

薄っすら、第二次世界大戦ころが舞台、というのを前もって聞いていたことを途中思い出し、観る。

プロコィエフの作曲背景も、時代的に戦争がかかっているので、編曲はあるにせよ、これはかなり合う。
プロコィエフの「シンデレラ 」の暗さ、そうそう魔法の音楽なよのね~、と久々に思い出し、テンションは上がる。

しかし…。

結論からいって、王道だった。
マシュー・ボーンなのにハッピーエンド⁈、というところで狐につままれた気分になりますが、まあ、思い返せば、「くるみ割り人形」もハッピーエンドだった気がするので、マシューかいつもハスに構えているわけではないようですが…。

マシューにしては(失礼)音楽に対する振りが主になっている、というのはプロコィエフ好きとしては楽しめたのですが、ここで例の問題が。

「シンデレラ 」という物語の限界、という例の問題。

おとぎ話はおとぎ話で、現代性とは相容れない、という縛りです。
異説の入り込む余地のない物語を、革新的に描くことができる振り付けは…無理なのかちらΣ(゚д゚lll)

マシューの「シンデレラ 」はマシューにしてはあっさりしているのですが、微妙に感じたことを最後に一つ。

それは、イギリスは戦勝国であり、それを日本は敗戦国の日本でみせる、というのは、みせる側として何も思わないのかなぁ、ということ。

ここで描かれたのは政治的メッセージではなく、やはり戦争の悲劇は、ふつーの人の日常が本人の意志に関係なく戦争に巻き込まれてしまうこと、と考える私には、ラストの、戦争が終わって日常が戻る喜び、というものが感動的だったのですが、そこはなんだかフクザツ_(:3 」∠)_