pico_usagi’s blog

つれづれ鑑賞記を引っ越し作業中です!

チャンドラー『高い窓』

近年、いろんな文化がスマートフォンに駆逐されていますが、本もまたしかり。

旅行ではできるだけ荷物をもちたくない身としては、色々オールインワンのスマホは大変便利で、すでにウォークマンを、そしてこの頃は文庫本を駆逐しつつありますね。
できるだけ本をためたくない、と思いつつ、読みたい本が音楽ほどには電子配信されない、ということもあったり、実際にキンドル本を買うとかえって延々と読まない癖がついたりと、それでも難儀していますが。

しかしまあ、リアル本屋(というか、印刷物)好きでもあるので、メガ本屋ばかりでありますが、よく立ち寄ったりもします。

と、気づくと、もう出ないだろう、と思っていた村上春樹訳のチャンドラー『高い窓』が文庫本化されていたので、特に深く考えずお買い上げ。
これまた悪い癖で、しばらくほったらかしにしてありましたが、長距離移動のお邪魔でもなかったので、旅行ついでに読み終わりました。

あまり深く検討せずに買ったので、この『高い窓』がマーロウ・シリーズの中でどういう位置を占めるかをよく知らないまま読んでいましたが、村上氏の好きな順で訳された5番目という本作。

マーロウ・シリーズ第1作(しかし村上4番目の訳)『大いなる眠り』ほどマーロウはうるさくなく、最後作(そして、戦後作。また村上訳第1冊目)『ロング・グットバイ』ほど男性的ロマンチシズムの技巧あふれたものではなく、小説家として苦節をなめた(らしい)チャンドラーのもがきがにじんでいるというか、なんとも不思議な感じのする作品でした。

チャンドラーの世界ではおなじみの、オールドハリウッドの光と闇、正しい金持ちといかがわしい金持ち、ナイトクラブに属するどうしようもない人種の、支配層とやくざ者、それぞれに寄生する胡散臭い自営業者たち、美女、絵に描いたような正義とは比べようもなく素っ気なく魅力なく、しかし役割を最後にはきちんと果たす警察など…、1950年を境に死に絶えたような古い人々の情景は相変わらずで、なんというか、今となっては独特の面白さがあり、それはそれで楽しい。

けれども、それほどメリハリなく進むので、先にいったような、悩めるチャンドラーの停滞がそのまま反映されているようであり、それが妙なリアリティになって、他の作品遠違うこれまた妙な味になっています、
珍しく美女はあんまりキーではなく、やっぱり女が悪いんだけど(今回は老女)、この停滞感が、ミステリー(殺人事件)のなぞ解きを難しくしているのか、読んでいて全然、犯人がわからなかった、という意味では高度な推理小説な気もするけれども、かえって、最後に一気に解ける謎があまりにも関係のない路線からするっと解けているような、キツネにつままれた感もあり。
タイトルにある『高い窓』も、本編中唐突にキーワードに仕立てられた感があり、うまく練られたミステリーとはお世辞にも言い難い。

しかし、だからこそかえって、マーロウがどういう謎を解く探偵なのか、ということが今回わかったような気がしました。

どの長編も、たいてい殺人事件ではないことに対する、秘密多き富豪たちからのマーロウへの依頼から始まり、そしてたいてい予期せぬ殺人が起こり、最初の依頼の解決がややこしく転落、最終的にはマーロウがすべての事件を解明しつつも、最初のクライアントの依頼を解決したかどうか怪しいまま(そして、報酬を得ることが本当にできているのか)終わることが多々。

しかしたいてい、最初のクライアントがけして話そうとしなかった(そして本当はその人物の根本にある)秘密を、最終的には明らかにしてみせる。
人望を得、現在は高い地位にある人物の、複雑な歩みと隠された「謎」(たいていは葬り去られたはずの過去)を解く孤独な探偵=マーロウ、という、直截的ではなく暗喩的な「探偵」としての主人公像が、何というかふと、腑に落ちる感じでわかりました。

売れない長編も多く、生前は思うような文学的評価を得られないことにいら立っていたというチャンドラー。
確かに、ただの「探偵小説」より深い、人間の哀しさ(決して、闇ではない)の描写が、本分だったのではないかな~と思う今日この頃。