pico_usagi’s blog

つれづれ鑑賞記を引っ越し作業中です!

フェリーニの『道』

今さら観ました、超有名映画。
オジサン(いまではおじいさん世代か…)はたいてい、「名画」という映画ですね。

フェリーニは、『81/2』や『ボッカチオ'70』でみたことがあり、どちらかというと「荒唐無稽」なイメージがあって、何となくなじめなさそう…というのがこれまで遠ざかっていた遠因。
なんというか、同時代ではないので、理解しがたい。

『道』も、「男と女の映画だ」なんてよく言われるので、青二才の女である私(たいてい、歴史的名画は男視線であることが多い)は遠ざかっていたわけですが。
結論から言って。現代人にはそう面白いとは思えないけれど、色々と象徴主義的というか、アイコニックな映画であって、あとから思うに、色々と考えてしまう類のフィルムです。

あらすじをいうと、イタリアの貧しい地区出身(在住)の娘・ジェルソミーナが、貧しさゆえに芸人・ザンパノに買われ、芸人の付き人として使用され、旅をし、人々に出会い、その道中で苦しみながらも愛を秘めながらも、心を壊す。
ザンパノは、やがて失った後にジェルソミーナの存在の大きさに涙を流す。という物語。

何でも、ザンパノは「悪」、ジェルソミーナは「純真」、途中出てくる綱渡り芸人イル・マットは「キチガイ」というイタリア語なんだそう。

「道」という日本語は、「~道」(例:武士道)みたいに、「人の生きる、こうあるべき生き方」みたいな臭さがあって、もっと説教臭い映画化と思ったら(だから、避けていた)、どうもそうではないみたいで、ほんとうに「ストリート」で起こることをつづった感じ。
まあ、深読みすれば、すごくキリスト教(というか、聖書)的象徴がちりばめられているような気がするのですが。

イタリアの南部の貧しさはよく聞くけれど(※ただし、ジェルソミーナの出身地が南部かははっきりとはわからない。ただ、最後に雪の降るシーンがあるので、南部っぽいけど)、人を売買したり、地べたで寝る人びとの暮らしが描かれているのには、何というか、一番の衝撃。
思えば、ヴィスコンティの『若者のすべて』の南部家族の描かれ方もそうだし、1990年代に自分がイタリア縦断旅行をやった時の印象もそうだけど…、イタリアの「南北問題」の現実はそうなのかもしれませんが(※1950年代は敗戦間もないし)。

個人的には、よく描かれているように、ジェルソミーナがそんなに精神薄弱にもみえないし、ザンパノも野蛮にはみえなかったのが、定評をすんなり受け入れることができない事情かも。
なんというか、ジェルソミーナは、たしかに途中出てくる娼婦?のような嬌態がなく、いわゆる男が好きそうな女ではないかもしれないけれど、現代ではそういう「不思議ちゃん」な女の子の存在意義も認められていますしね。
この辺、世代ギャップなのかもしれないけれど。
私には、ジェルソミーナがそんなに不細工にみえないんだけどな…。
(オーバーコートがかわいいし、ショートカットもかわいい。「アザミみたいな顔」はいい得て妙だと思うけど、ほめ言葉じゃないの?)

ザンパノの「イントネーションが違う」とジェルソミーナが指摘するシーンがありますが、ザンパノを演じた俳優さんは、実際、イタリア人ではなくて、メキシコ原住民とアイルランド系移民の混血のメキシコ人だそうです。
日本人には、モノクロ画像ではなかなかわかりませんが…、結構この時代のイタリア人監督はいろんな勲位出身の俳優さんをキャスティングしていますよねぇ~。
ザンパノは素晴らしくうまくこの会話を流していますが(「親父の家が故郷だ」といっている)、これはただアホなのか、意外とうまく受け流しているかで、よく言われるように、「ザンパノは野獣」という説に反して複雑な移民社会への言及だと思うんですけどね。

ストーリー上の「感動」というよりは、ひとつの「象徴主義的なアートフィルム」としてはものすごくよくできていると思います。
個人的には、カトリック的祝祭シーンの表す象徴主義が好き。
全体的に、カトリックの現代的イタリア的解釈のフィルムだと思います。
フェリーニの作品の中では、いまのところ一番よく分かった作品かもしれません。