pico_usagi’s blog

つれづれ鑑賞記を引っ越し作業中です!

今年の芥川ショー。

何かと話題になっている、『火花』を読みました。
芥川賞受賞小説を読んだのは、実に辻仁成の『海峡』(だったっけ?)以来。
(あ、平野啓一郎もうんざりしながら読んだっけ…)

あの頃文学青年(少女ではないなぁ)だった私は、あれ以来、芥川賞はただの文芸春秋社の話題づくり新人ショーだなぁ、と思ったものです。

話題にならなくとも、長年母親が「文芸春秋」の定期購読者だったので、いつでも読める環境があったわけですが、年々ショボくなる「文豪」たち(小説家としてどう、というより文豪ブリがイタイ)の文体に食指が動かず。
今年に限っては、評がいろいろ割れているようなので、そのへんで興味をもって読むことに。

ちなみに、テレビなしの生活を送って早10年、40歳以下の芸人はもはや知らないのであしからず。

まず冒頭。
「芸人の書いた小説とは考えずに、評価した」とかいう人がいたような気がしますが、この評は胡散臭いね。
芸人じゃないと、書けんだろうね。

↑これは悪い意味でなくてね。
よく知らないんだけど、又吉氏はお笑い芸人を目指しながらバイトに明け暮れるほかの若人を「邪道」だと考えているとか、どこかで読んだんだけど、それくらいプロ根性ある人なんでしょうね。
「お笑い芸人」はただの目立ちたがり屋、でなくて、「芸」の道はやっぱりあるようで、「芸人の書いた小説とは考えずに、評価した」とかいう人は、なんだかんだ、「お笑い」を見下しているんだろうね。
全部が現実の投影ではないかもしれないけど、プロとして「お笑い」をやっている人だからこそ、迫真的な面白さがあるんだろうな、と思いました。

みっちりつまっていて、虚栄がなくておもしろいんだけど、その分、半分を過ぎるとやや冗長な感じに。
憧れ→成長→憧れとの決別が、すごいリアリティある青春小説なんだけど、ある意味、王道で独創性がない。
真実はあるけれど、王道という意味で凡庸。
文学好き芸人らしく、そのへんは外してない感じが却ってもったいないかもしれませんね。

男って本当にダメ男が好きだな、とまたしみじみ思うのですが、神谷・徳永・真樹の関係は、近いところでは村上春樹の『ノルウェイの森』の永澤さん(そして五反田君)・僕・ハツミさんの関係に似ている。
遠くは、漱石の甲野なんかもそうだろうね。
ノルウェイ~』は基本的に死者たちの物語で、誰も死なない分、『火花』は現代/現実的なんだけど、真樹さんが男性的視点の理想的女性像まんまで、これもまた凡庸。
ダメンズ好きの女はいるものだけど、その現実の臭さがなくて、ツマンナイ。

そして、読めば読むほどリズムが悪くなる。
ネットの引用や、漫才の会話の挿入などは、現代的でいいなぁ、と思うのだけど、やっぱり1本の小説としては扱う時間のスパンが長すぎるのよね。
いつの間にか、4、5年たってません?ということになると、最初の濃密さが何なの?という気にもなります。

そして、ラスト。
なんで、ああなったかなぁ。

ある意味、常識人に戻る「僕」の常識ぶりの比喩的なシーンなのかもしれませんが…、神谷の狂人ぷりが、夢から覚めた後はただのアホ、という象徴なのかもしれませんが…、何か消化不足。
たぶん、常識人に関しては又吉氏は無理しているようで、ちょっと浮いてる。

↑とまあ、いろいろ書きましたが。
私の学生時代にも太宰好きの男子学生が周囲にそれなりにいて、当時は彼らの文学もよく読んだというかこがあり(そして、個人の好みとしてダメンズの大御所・太宰は好きになれない)、何だか妙に懐かしい感じでした。

↑ほめてるんだかけなしてるんだか、わからなくなりましたが、本人的には★3つの読み応えでまずまず。
副作用としては、お笑い(というか、漫才)をみてみようかなぁ、という気になりました。