pico_usagi’s blog

つれづれ鑑賞記を引っ越し作業中です!

『セントアンナの奇跡』

アメリカ映画のすごいところ、というか層の厚さを感じるのは、「アメリカ批判」をフィルムにできることかしら。
単なる体制批判ではなくて、自己批判精神もちゃんと備わっているところがうらやましいですね。

舞台は1980年代のアメリカから始まりますが、メインは第2次大戦中。
ドイツ敗北色の強くなったヨーロッパの、イタリア戦線に送られた「黒人」部隊のお話です。

敗戦国、というかナチス・ドイツの描き方が勝者の視点からとらえられたときいつも異常性を強調しすぎなのではと思うのですが、ドイツ軍に向かう「黒人」だけで編成されたバッファロー・ソルジャーと呼ばれた舞台をかく乱するために、ドイツ美人が「黒人」の「白人」アメリカに対する不信感を煽る煽る。
戦場であんなのはあり?と思うといきなり戦闘に突入。
戦闘で生き残ったリーダーが本部に援護を頼むも、「白人」の大尉はそれを信用せずに彼らを孤立させてしまう。
そうして本隊から離れてしまった4人が、途中で出会った謎めいた戦災孤児の少年とイタリアの村に迷い込み、そこで「白人」「黒人」の差別のない世界に触れることに。
戦況や勢力関係に補足説明がないし、ヒーロー的な人物がいないので、慣れるまでかなり時間がかかります(2時間30分近くのフィルム)。
登場人物はドイツ語、イタリア語、英語をちゃんと話しわけていて(※言葉が通じなくても、人情は通じる、というのがテーマでもあるから)、臨場感のある演出に。

明らかにおかしい?司令部(責任者は白人)に疑問を抱きながらも、「立派な」人間として組織の中でありたいと思うスタンプスと、ややいい加減で、ある意味差別のある現実を受け入れつつ自由に振舞うビショップ(どうも、聖職者らしい)、ちょっとのんびりさんで兵士向きではないけれど、少年と心を通わせる、「裸の大将」的なトレイン。ほかの3人と違う点がプエルトリカンということにあり、スペイン語とイタリア語を話すことができる、通信兵のヘクター(この人が現代で、イタリア人と彼らを裏切った人物と偶然NYで再会、彼を射殺する、というシーンが冒頭)。
教科書的な知識では、アメリカでは1960年代まで公然とした「黒人差別」があったという刷り込みがあり、それが緩和されたのはベトナム戦争のころ、「兵士の数が足りない」状況を解消するために「黒人」の立場が上がったのでは、という印象が、それまでのベトナム戦争映画をみて以来、個人的な思いとしてありました。
それに似た?状況が、第2次大戦中にはすでにあったのだな~ということが、これら4人のを通してわかります。

不思議な少年(かなり後半になって、彼が虐殺の生き残りであるために心神喪失状態であることが判明する)の保護のために、近くの村人に保護を頼もうとする4人は、ここでドイツ人捕虜を連れたレジスタンスに遭遇。
ここで一気に、断片情報が結集して、冒頭の謎(なぜ、ヘクターは現代で殺人を犯したか)が明らかになり、長いフィルムが一気にジェットコースターを下る展開へ。

彼らは結局、レジスタンス(イタリア人)の内輪もめに巻き込まれるかたちでドイツ軍の砲撃にあい、ヘクターだけが生き残ることに。
どうでもいいことですが、「ファシスト」を譲らない老人が、責めてくるドイツ兵に「わしはファシストだ」と堂々と名乗って殺されるシーン、結構キツイです(;_;)。
なんというか、国家の戦争に対する個人の無力さの象徴のようで。

ヘクターは人物として一番影が薄いので、彼が生き残ってもなんで~?という感じが否めませんが…、あまり劇的にすると話が台無しになってしまうからかもしれませんねぇ。
実は少年も生き延びていて、彼が最終的に現代のヘクターを救うというのがオチ。
現代の描写はなんとなくなおざりで、だから全体としてはいい作品か…?という感じになってしまいますが、このイタリアの村での出来事、彼らそれぞれの心情に、じ~んとくる映画です。