pico_usagi’s blog

つれづれ鑑賞記を引っ越し作業中です!

ギリシアの思い出

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クレタ島1996

 先日ベジャールの「ギリシアの踊り」を観て、思い出したのが「ギリシア」と「海」と「岩」と。

 

 学生時代、夏休みの一ヶ月をヨーロッパバックパック旅行へ行き、10日間をギリシアで過ごしました。

 

 初めての海外旅行で、往復(といっても、アテネ・イン、パリ・アウト)の航空券と初日のユースホステルの予約、イタリアレールパスのみを持った、友人と2人個人旅行。当時はインターネットがない時代(あったけど、今の普及の比じゃない)、最近なくなったというトーマス・クックの時刻表と「地球の歩き方」のクチコミを頼りに、よく行ったものです。

 

 ギリシアアテネクレタ島サントリーニ島とフェリー3等の旅(当然デッキ席)、最後はイタリアに渡るため、国鉄に乗って陸を通り、ペロポネソス半島のパトラという港町を巡りました。

 

 当時は車の免許も持っていなかったので、ほぼバスの旅。学生ですから、タクシーという選択はない。

 だから、行ける場所も限られていて、ヨーロッパはそれほどバスが頻繁に通らないものですから、この写真を撮った時のように、何にもできない時間はただぼーっと、海と岩と荒地(乾燥しているので)のギリシアを眺めるしかありませんでした。

 

 ちなみに、今は知りませんが、当時はギリシアでは英語はそんなに共通語でなく、むしろ、出稼ぎの関係か、ドイツ語との2ヶ国語表記をよく見ました。ユーロ通貨ではなく、ドラクマの時代。

 

 私も友人も西洋文化史の専攻学生だった為、旅行の目的地を決めるときはすんなり「ギリシア!」(西洋文明の発祥地として)を選んだのですが、行ってみると、案外、同時代のギリシアという国を知らなかったなぁ、としみじみ思った記憶があります。

 

 そして思った以上に、ヨーロッパにおいては東方的。キリスト教世界とイスラム的東方の最前線だし、思った以上に、古代よりもその時代の影が濃い。

 そして、私が学生だった1990年代は、旧ユーゴスラビアの内戦があった時代。バルカンの政情を扱った映画も多く、感化を受けた年代です。

 アンゲロプロス監督の映画のような、やや詩文的な隠喩もありますが、あの感じがギリシアの現代だなぁ、と思う。

 

 ベジャールのバレエが海の音(あれは「波の音」ではない)と、海の擬態からステージが始まったとき、なんというか、こうした記憶が文字通りぶあーっと、思い出されたわけです。

 

 そして、哀愁漂う音楽。

 

 同時代的なギリシア音楽を全く知らなかったので、ただ遺跡の野外公演を見たいというだけでチケットを買った上演の演目が、そうしたギリシア音楽だったので(キリル文字が読めないので)、日々ロックとかポップスとか、アメリカ由来の音楽に馴染んでいた若者にとって、現代(当時)の音楽として民族音楽が基調だったことはかなり衝撃的でした。

 

 ベジャールの使用する音楽も、ハプシコート?かなにか、弦楽器の音がそうした記憶をすごく呼び覚まして、なんというか、私は西洋人ではないけれど、人間の始源をふと思い出すのがギリシアなのだな〜、と。

 

 ベジャールの振り付けを通して、今回はそんなことをしみじみ思いました。