pico_usagi’s blog

つれづれ鑑賞記を引っ越し作業中です!

ファスビンダー『不安は魂を食いつくす』

5月に東京国立近美でみた「映画をめぐる美術」展で、たまたまミン・ウォンという作家のパロディ映画連続上映会に参加。
引用されている古い名画(らしい)が気になり、その原作DVDを買っていましたが、これまたしばらく放置。
掃除のついで?にようやく観てみたのが『不安は魂を食いつくす』という1973年のドイツ映画。
 
『不安~』はドイツ人の初老の女性と20歳年下のモロッコ人男性が主演の、老い、異人種への偏見を織り交ぜたメロ・ドラマ。
 
大体はパロディ作品でストーリーをあらかじめみているわけですが、その辺は大体予想通りに進みます。
ミン・ウォン(たぶん、男性?)はシンガポール出身、ヨーロッパで美術を学んだベルリン在住の作家で、ヨーロッパにおける異邦人的な観点から、人種やジェンダーを扱う作家なのかなあ、と思っていたわけですが、ウォンの作品はほとんど、複数の登場人物も一人で演じていて、『不安~』のおばあさん=エミも、外国人=アリも、その他周辺の人物もみんな同じ顔。
だから、初登場のバーのシーンも、一人の人物を周囲の複数の人物たちが無表情にじっと見ている(そして、顔が同じ)、という妙にシュールな感じがしたんですが、原作も大体そうなのでびっくり。
いつも、エミは誰かにみられている。
なんというか、ハリウッド的なドラマ演技ではなくて、テーマがミニマル化されている感じの硬さがあって、これそのものがアート・フィルムみたいだなぁ、と思いました。
 
ちなみに、ウォンはどうみても中年のおばさんにしかみえなかったので、なんでみんなが「おばあさん」といっているのかわかりませんでしたが、ブリギッテ・ミラという女優さん(実際、このころ60代くらい。ドイツでは90代まで現役の女優さんだったそうです)は確かにおばあさん。
でも、エミはとってもかわいいと思いました。
ある種、時代性というか、この時代はやはりまだ戦争の影のある人たちの世代で、さらりと「両親はナチスだった」とか「自分も党員だった」といってたりします。
これは現代のような一辺倒のナチス・アレルギー(ヒステリー?)よりたぶんリアルな感情の表出なんだろうなあ、と思います。
アリと新婚のお祝いでいったと思われる高級レストラン(でも、なぜかイタリアンだったような気が…)へ「ずっと行きたかった」というエミも、「ヒトラーが何回も通ったの」とアリにいったりして、現代人ならハラハラしそうなところですが、二人ともさらりと会話で流していたりします。
ここでのアリとの会話、給仕とのやりとりもかわいいし、おかしい。
(※イタリアンだった気がするのに、なぜかシャトーブリアンをオーダーしている…)
 
周囲の偏見に耐えられなくなったエミは「旅行へ出ましょう。帰ってきたら何もかも変わっているかもしれないわ」
といい、実際、帰ってきたらなぜか周囲の偏見は和らいでいます。
というか、偏見はやはり偏見でしかないというか、次のターゲットに目が移ればそれはまた「当たり前のこと」「ありうること」として流されてしまう、なんというか人間の芯のなさを表しているんでしょうかね。
その代わり、周囲の偏見によってかえって結束していた絆が、かえってその脆さというか本性を露呈してくるのがこれから。ちょっとした亀裂が、「ドイツ人エミ⇔アラブ人アリ」「若い男アリ⇔老いたエミ」という現実を、本人たち自身に再認識させ、混乱を巻き起こします。
 
バッドエンドでもハッピーエンドでもなく、和解があるようでないようなラストで終わり。
 
全体に登場人物たちの感情があまり露わでなく、それぞれがそれぞれの立場のアイコンのような感じで、終始自分で考えなければならない、という意味ではウォンのリメイクは当を得ているような気がしました。
 
あ、私の文章にもオチがない…