さて。
ボリショイの栄光をたどるために、『スパルタクス』ドカ買いしました。
『白鳥』の時とは違って、振付はどれも同じグリゴローヴィッチだし、カンパニーもボリショイばかりですから、ただひたすら、ダンサーと力量とカンパニーの栄枯盛衰をたどるような…試み。
何度でも書きますが、現役時代にぜひ見ておきたかった、ボリショイのスーパースター・ムハメドフ。
比較的多く映像が残っているダンサーで、主に20代から30代前半。
ネットでなんでも検索できるこの時代、近影にはびっくり(ある種順当にもみえますが。どちらかというと、ソヴィエトの近隣共和国出身なので、中央アジア系の方ですね)してしまいます。
とにかく跳躍力が別格。
先のアコスタ氏でもそこそこ満足していたのですが、もはや別レベル。
アコスタ氏はやはりまだまだエレガントで、ムハメドフはジャンプのたびに「ブラヴォー!」がでるのも納得の脚さばき。
ただ、初登場の場面だけは、ムハメドフはあまり奴隷にみえず、やっぱり皇帝とか王とかが似合うなぁ、と考えは横道にそれる。
まあ、奴隷といっても敗戦国の人間というだけで、蛮人とか、そういうわけでもないのですが。
フリーギアはお約束のナタリア・ベスメルトノワ。
やはりうまいんですが、感動の具合は前回のジュリエットと『イワン雷帝』のアナスタシアの中間くらい。
なんというか、今回はフリーギアという人物の位置づけがよくわからなくなり、あまり感情移入ができませんでした。
クラッススはミハイル・ガヴォウィッチ、最初は女神かと思ったくらい身体の線が細い人でしたが、前回のようにちょっぴりまだ小心者の権力者、という感じはなくて、わりと最初から自信満々。自分が負けるとは全然思っていないから、特に復讐に燃え始めたあたりからがすごい。
テクニック的には冒頭のクラッススのパートはかなり難しいのかな、と思うくらい、ちょぴっとまだ重い。
余談ですが、アコスタ版ではスパルタクスとクラッススの対決シーン、とどめを刺さなかったスパルタクスは気高さゆえに放免、というふうにみえたのですが、ムハメドフの場合、勝者のうぬぼれの表情がちらりと見え、どちらも破滅(転落)の発端となるわけですが、その原因となるものが随分違ってみえました。
今回、初めてマリア・アラシュ以外のエギナをみることになったわけですが、アラシュのエギナが少々人間離れしてみえるのとは違い、マリア・ブイローワのエギナはいかにも愛妾らしい奸智と妖艶さにあふれていて、これまた随分人物像が変わってみえたもの。
身体の動きに柔らかさがある分、誘惑の説得力があって、2008年版ではあまり「狂宴」にみえなかった「饗宴」も媚態にあふれて…濃いわ。
1984年版と2008年版、見比べてキャスト以上に驚いたのが、演奏の表現力というか、私への響き方。
2008年版はブルーレイだったので、このDVDはずいぶん音も悪く、映像も荒れているわけですが、ダンサーの動きと音楽が格段、今回のほうがマッチしているようにみえて、前回はハチャトリアンの音楽も案外間延びしていてつまらないものだなぁ、と思った印象が一新。
ちゃんと、登場人物の心理(動き)とリンクしているようにみえて、ドキドキ、ハラハラあり、です。
…というわけで、ますますボリショイの凋落ぶりを再認識することになりました。
『スパルタクス』は3幕2時間ぶっとうしあるので、何度も観るのは結構しんどい。
残った名盤をいつみるかは、検討しまうす。