pico_usagi’s blog

つれづれ鑑賞記を引っ越し作業中です!

グリゴローヴィチ版『ロミオとジュリエット』

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 なんだか、DVD鑑賞とAmazonのトリコな私。
 「白鳥」熱冷めやらぬ中、ロミジュリにも食指伸ばし中。
 
 先日のラヴロフスキー版がいま一つだったせいもあって、他の振付でお口(目?)直ししようとAmazonを観ていたら、めずらしいグリゴローヴィチ版がヒットして、買ってみることに。
 ジャケットが古めかしいですが、1989年上演(まあ、古いといえば古い)の、ナタリア・ベスメルトノワとイレク・ムハメドフのコンビ。
 
 グリ氏の奥様でもあるベスメルトノワですが、原田智子のバレエ漫画『僕は薔薇』から入った私にとって、この漫画のせいでベスメルトノワにはものすごい偏見がありました。
 ボリショイのパロディであるこの漫画では、30代に入ったナルシスト気味の悩めるプリンシパルがセクハラ発言を連発、「重い・年増の」プリマは漠然とベスメルトノワのことをいっているように…思ったものです。
 
 比較的ボリショイ時代の映像が残っているムハメドフは20代、そのほとんどでパートナーを務めるベスメルトノワは50代目前。20歳差はヌレエフとフォンティーンの伝説並。
 今は随分寿命が延びたといわれているけれど、オペラ座でも42歳?が定年といわれるように、ダンサーの命は結構短い。が、この年齢で劇団に残っているのは、やはりグリ氏の力のなせる業…とも思ってしまいますよね。
 
 ↑そんな偏見はさておいても、先にみていた同じペアの同じ年代頃の『イワン雷帝』で、ベスメルトノワは随分重い感じのするダンサーだなぁ、という印象があったので、今回も不安だったのですが…。
 
 結果。
 どうもすみませんでした。
 ベスメルトノワのジュリエットは素晴らしかったです。
 
 それはさておいて、グリ氏のロミジュリは、これまで観た同タイトルの中でもっとも、「ダンスで語る」振付だったと思いました。
 これはグリゴローヴィチのほかの振付にも共通するのかもしれませんが、とにかく、ダンサーに語らせるのは身体言語(ダンス)のみ。マイムはほとんどなく、演劇的振付も一切なし。
ダンスダンスダンス。
なので、シーンとシーンのつなぎが切れることがなく、幕全部がつながっている感じ。
 
 ↑欲をいえば、せっかく踊っている間は切れないのに、幕を下ろした途端、それが別次元へ。
 顔見世のカーテンコールに応えるのはロシアの劇団はどれもそうなんだけど…、なんだかせっかくダンスにのめりこんだのが台無しに。
 刺されて死んだ登場人物も笑顔で再登場しそうな勢いがあり、まるでゾンビのよう。
 
 すべてをダンスで表現するため、今回のロミジュリは舞台装置らしきものはほとんどなく、ちょっと抽象的でもあります。
 その辺は、群舞のグルーピングでメリハリを利かせ、平面的にならないよう演出するのがグリゴロ流のよう。
 
 ただし、あまりにグリ氏の振付ばかりを続けてみると飽きるだろうなぁ、という気もしました。
 とくにまだあまり感情移入ができていなかった序盤、なんだか『イワン雷帝』とか『スパルタクス』と同じだなぁ、と思う瞬間もあって…。
 実際、ティボルトはときどきクラッススにみえましたよ。
 
 さて、本当に切れ目なく続くグリゴロ版を記述するのはなかなか難しいですが、どのシーンも本当に見事につながっていきます。
 
 最初に、ロミオ登場。
 『イワン雷帝』や、ロイヤルに入ってからの『マイヤリング』では狂気に近い怖さを感じさせるムハメドフでしたが、ちゃんとロミオらしい初々しさができていたから不思議。結構かわいい坊やとして登場しています。
 前回のラヴロフスキー版ではキャラクターがわかりにくいと書いたベンヴォーリオは、グリゴロ版では思い切り省かれてしまっています。おお。
 
 そして、ジュリエット。
 ここではキャピュレット卿にも愛されている(今回のキャピュレット卿は随分若い印象)娘として登場し、乳母と遊ぶばかりの子どもとしての描写はなく、でもはつらつと愛らしい10代、という感じ。
 いや、全然違和感ありません。そのはつらつさはもちろん、全部踊りで表現されるわけですが、その表現力がものすごく素晴らしいのですよ。
 ほんと、すみませんでした、ベスメルトノワ様。
 
 パリスは今回も殺されない役どころでしたが、ソロパートもあったり、現在ボリショイの首脳になっているA.ファジェーチェフが演じているせいか、いつもより出番が多かった。
 ジュリエットはこの許嫁に初対面こそそんなによそよそしさはなく、お客に丁重に接する、という感じでしたが、ロミオと恋に落ちてからは豹変、マクミラン版の拒絶的とは違う感じですが、でも「あなたじゃないの!」感をすべてダンスで表現。いや、すごい。
 
 パパさんも若い印象のせいもあるのかもしれませんが、父権の権化にはみえませんが、「何をいう!お前はパリスと結婚するのだ!」というくだりをすべてダンスで表現。これもまた、すごい説得力。
 
 話が細部に落ちていきますが、ジュリエットの乳母も、踊るキャラクターのせいか、ダンサー自身はそんなに豊満な身体つきではないのがみて取れましたが、その豊満さからくるコミカルな動きを、これまたダンスで表現。
 
 ほか、あまり踊るのをみたことがないヴェローナ公も踊って権威を体現。
 とにかく、徹底して踊るのがグリゴロ版か。
 
 ところで、さっきからあんまり触れていないティボルトとマキューシオですが、べつに悪くはないんですが。
 全幕を通して途切れなく一体感があるので、グリゴロ版の感想は個別にぬいて書きにくいだけ。
 ただ、唯一ティボルトがマキューシオにケンカを吹っ掛けるシーンだけがちょっと唐突な感じがしました。
 ドラマ仕立てのマクミラン版などではティボルトが明らかに酔っていたことのがわかるんですけど、余計な描写を一切しないグリゴロ版ではティボルトにそうしただらしなさの片鱗はなく、さっきもクラッススと見間違えたように、ひたすら権威の権化にみえるので、かえって不自然な感じに。
 
 そのあとも、ひたすら踊る踊る踊る。
 マイムをとにかく省くので、ジュリエットが仮死状態になる薬を神父にもらうシーンなんかは、初めての人にはわからないんじゃないかと思うのですが…。
 そして珍しいところで、この薬を飲んだ後のジュリエットはすぐに眠るのではなく、様々な幻影をみることになります。
 そういえばティボルトが死ぬシーンでお化けのようにマントを被るところがありますが、ここで幽霊として現れる彼もまたその覆いを被ったまま、幽鬼としての効果が抜群に。
 そして、幻のロミオとも踊ったりもする。
 
 そしてロミオ。
 マクミラン版では墓を訪れるシーンまでしばらく現れない彼も、ジュリエットと会えない苦悩を踊りで表現し続ける(こうした表現はラヴロフスキー版にもありましたが)。
 なので、いつもよりソロの見せ場が多いような気が。
 
 そして思いきり、ジュリエットの葬送のシーンが省かれていました。
 その代わり、葬送の音楽はそのままロミオの悲しみに読み替えられて表現。
 そして、何と驚いたことに、毒薬を飲んだロミオが息を引き取る前にジュリエットが目覚め、最後のパドゥドゥが実現。
 
 …これは意味が少し違うけれど…、あまりにも悲しすぎる結末。
 なんというか、もう少し早く目覚めれば二人とも死ぬことはなかったのに…、という思いに駆られてしまいますのよ。
 
 でも、毒が効いてしまい、ロミオが死んでしまうわけですが、この体勢が…すごくって、ダンサーの身体能力にまたもや驚くばかり。
 
 …もちろん感動もしましたが、いろんな意味で興味深い、グリゴロ氏の舞台でした。
 もともとはベスメルトノワのために考えられた振付だそうですが、いまのダンサーたちにも踊れる…のかなぁ。