pico_usagi’s blog

つれづれ鑑賞記を引っ越し作業中です!

ヴィスコンティ『揺れる大地』

わけあって、イタリアのネオリアリズモを体感するため?、手っ取り早くフィルムでみることにしました。
何といってもロッセリーニの『無防備都市』が有名ですが、ロッセリーニは怖いという偏見もあって(実際にはみたことがない)、インターネットのレビューをみたところ、同じネオレアリズモの名作とされるヴィスコンティの『揺れる大地』のほうに興味がわきました。
で、二本ともまとめてDVD買いし、とりあえずは『揺れる~』から観ることに。

出演者が全員素人という、シチリアの貧しい漁村を舞台にした、1948年製作の映画。ちなみに、日本公開は1990年。
仲買人に不当に搾取されていることが自分たちの貧しさの原因と考えた主人公(漁師)が、独立に向け、立ち上がるという最初の展開は、もともと共産党プロパガンダ映画製作を出発点としているといわれるのもなるほど、という感じ。
家を抵当に入れ、借金して独立、最初はうまくいくようにみえた事業も、時化の日の出漁で船を失い、文字どおり水の泡に。
家族も半壊(二男がギャングの卵?に転身して失踪、じいちゃんは倒れる、次女は権力者の愛人に)、周囲からは「お前の高慢のせいだ」といって助けてもらえない主人公。
終盤、生活がますます困窮し、長女が大事な衣装を質に出そうとしている(←画面が暗いのでよくみえませんが)ところに失業中の主人公(長男)が帰宅、それを止めて、自分を馬鹿にする仲買人の店の門をたたき、雇われ漁師として再出発、で、ジ・エンド。

こうやって書き出すと何でもない物語ですね(^^;)。

主人公は兵役で外国へ赴いたことがあり、村から出たことがない純朴な二男との会話でもそれが出てきますが、「外の世界を知っている」からこそ、自分たちの立場が不当にさらされているということに気づき、最初、それで皆を説得しようとします(が、結果失敗)。
最後は、実質的には自分に何の助けも出すことができない女の子との会話がきっかけとなり、再起することになりますが、そこで、
「自分は自分のためにではなく、皆のためにやろうとしたことが、皆には理解できなかった」
とつぶやきます。
それから、シーンとしては長女の質入れに出くわすのですが、そのとき、自分の衣装箱の中の奥深くにあった、おそらく海軍の制服を引っ張り出してみる場面があります。
これはなんとなく象徴的だと思いました。
おそらく一段階目の誇りを捨てて、つまりけちなプライドを捨て、生きねばならぬという現実に向かい合う主人公が、より高い誇りを得た人間の姿としてとが最後に描かれて終わる、ということを意味するのでしょう。

なんとなく、それまでイメージとして持っていた「ネオレアリズモ」とは違うような気もしますが、「生きる」ということに真摯に向かい合わねばならない、ということを十分伝えてくれるという意味では、リアルな映画でした。