pico_usagi’s blog

つれづれ鑑賞記を引っ越し作業中です!

『若者のすべて』

某フジテレビのドラマではなくて、1960年の伊=仏合作のフィルムです。
原題は『ロッコとその兄弟』といったところで、アラン・ドロン主演の、初期のヴィスコンティ作品。
今年の春に、にわかネオ・レアリズモがマイブームになった折、中古でDVDを買いましたが、いつものようにしばらく放置。
昨晩、にわか「イタリア・ナイト」敢行のため、ようやく観ることに。

じつは、実見の前によくできた誰かのブログで内容を知っていたので、どちらかというと、それを確かめるような鑑賞になってしまいました(~~;)。
南部出身のバロンディ家の当主(父)が死に、ミラノにいる長男を頼って残り4人の男兄弟と母親が上京する物語で、「故郷を離れ、都会でいかに若者たちがおぼれ、育っていくか」がテーマかもしれませんが…、先にみた『揺れる大地』に比べるとかなり物語臭がつよく、あまり感情移入ができません。
し、人間関係がなんとなく「通り一遍」な感じ。古いフィルムだからしかたがないのかもしれませんがねぇ。

おもな軸は、プロボクサーとして芽を出し始めた二男シモーネ(ほかの兄弟に比べ、もともとこの人だけがちょっと怠け者。モノクロですが、彼だけたぶん、濃い黒髪ではない)が、娼婦ナディアに参ってしまい、彼女の気を惹こうとして身を持ち崩し、一方で三男のロッコがナディアと惹かれあい、その上、ボクサーとして見放されたシモーネに代わって、ボクシング・プロダクションの期待をかけられることから、兄の嫉妬が高じて関係がもつれてしまう、というところ。

さきにみたブログの主もアラン・ドロン演じるロッコにあまり好意的ではない意見を述べられていたのだけれど、私にもロッコがいい人とは思えません。
娼婦の世界から足を洗って?、立ち直ろうとするナディアは、シモーネの暴力で傷つけられてしまうのですが、結局、ロッコは「兄のところに戻れ」という(※ただし、シモーネとナディアの関係はけして恋人どうしではない)。
女なら「はあ?」という感じデスね。

再び身を持ち崩したナディアは、シモーネを堕落させることで復讐しようとしていたらしく、シモーネもボクサーを引退、巨額の借金を抱えて告訴されることに。
ママのために兄弟会議が開かれ(五男だけが未成年なので参加しない)、自分の生活を壊す気のない既婚者の長男、唯一定職があるけれどあくまでもサラリーマンに過ぎないまじめな四男と、現実的なふたりと対照的に、ロッコは収益性の高いボクサーの世界に自分の身を投げることで(※ロッコはもともとプロボクサーになる意思はなかった)借金を肩代わりすることを申し出るのですが…、なんというか、このシーンにもとくに兄弟愛が感じられません。
ほかの兄弟と同じく、「ええ~」という感じ。

やがて、どうしても手に入らないナディアを、シモーネが刺殺。
(ちなみに、殺害のシーンの演技がとても下手で、思わず笑ってしまいます)
母親とロッコはそのままかくまおうとしますが、四男チーロが彼らを振り切って警察へ。
↑これをずっとみてると、シモーネとロッコはナディアを人間と思ってないの?という気がしてきて、ちょっとイライラします。

最後のシーン、タレこみをとがめ気味の五男のルーカが四男のチーロに会いに来ます。
チーロはルーカの不満を兄弟の中で最も冷静に常識的に諭すのですが、このとき、「ロッコは聖人だ。だが実生活には役に立たない。ロッコの寛大さと都会が、シモーネをダメにした」ということをいっています。
ロッコが寛大かは別にして、まさにそのとおり、…なんだけど、登場人物にいわせるってどうなの?
全体に、シモーネとロッコの感情の描写がもう少ししっかりしていればよかったのですが。
(↑したがって、私の中で「アラン・ドロン大根疑惑」が再浮上)

ちなみに、シモーネ役の俳優さんとナディア役の女優さんは、この共演がきっかけで、その後ずっとパートナーだったそうです。
映画ではあんなにうまくいかなかったのにね(^^;)。