pico_usagi’s blog

つれづれ鑑賞記を引っ越し作業中です!

マッツ・エク『ジゼル』

批評は耳に入ってくるのに、実見する機会のなかなかないコレオグラファー マッツ・エク。
近年ようやくDVDを手に入れられる環境も整った?のか、『白鳥』に続く2本目として『ジゼル』をアマゾン買いしました。
マッツ・エクといえば『ジゼル』のほうが多分有名です。

「大胆なストーリーの読み替え」という前評判のイメージが先行するエクですが、ジゼルの場合、「舞台が精神病院」というのは観る前の知識としてあり
実際にはこれは2幕目。通常は「ウィリー」、花嫁になれなかった死霊たちの世界のほうです。ちゃんと農村のシーンもありました。

「四股を踏んだような動き」というのもよくききますが、実際にみるとそれほど奇妙さを強調する必要はないな~と思います。先入観を与えたがる批評はよくありませんね。
ちゃんと舞踏になってるし(ダンサーに安定感があるという個人の資質にもよるのかもしれませんが)、あくまでも「再解釈」という気持ちでみればよろしかろう。
ただ、エクの振付はダンサーにとって腰が命にみえますがね(^^;)。

普通の『ジゼル』は、身分違いの恋に破れた女が狂死、王子は自分の不誠実を後悔、霊となった女もそれを許す、というような、古典作品にありがちな男性に都合のいい「理想の女性」像のお話だったりしますが、エクは男女の関係をもっとシニカルに描いているようにみえました。

農民たちも、支配者に都合のいいように素朴、という描写ではなく、農民らしく因襲的で頑迷なところが強調されているようにみえます。
ヒラリオンの恋も、何というか生々しく、暴力的(でも、素朴な愛)。

上流階級の人々にもノブレス・オブリージュの装いはなくむき出しで、スノッブ臭ぷんぷん。

ピュアの代名詞のようなジゼルも、「イノセント」のポジティヴな意味とネガティヴな意味を両方もっているようにみえます。
ジゼルは一見白痴にもみえますが、逆に両者の間にあって一番因襲にとらわれない、真の奔放さがあるのかな~というふうにも思われました。

アルブレヒト(残念ながら、もっさいダンサー)はそんな自由な精神に憧れながら、現実の覊絆から自らを解く勇気もなく、かえってそれを憎み(逆ギレ)、ジゼルを突き放してしまう感じ(←人としてはあり得ることを理解できる心情ですがね)。
だからか、当然、2幕目の「彼岸」ではジゼルの愛に救ってはもらえません(ただし、ある意味自己を突き抜けて「救われて」いるようですが)。

ちなみに、農村のシーンの描き割りは象徴的にエッチなほのめかしにみえますが…。気のせい?
エクの作品は2本目ですが、女性に苦手意識があるのかな~とも思ったりもします(^^;)。

↑感想がまとまっていませんが、興味深い一本としておススメ。

音楽はもちろん再解釈されているので、通常のシーンと必ずしも一致しないのだけれど、定番ではアルブレヒトがジゼルの墓参りにやってくるときの音楽が個人的には好き。
たいてい、黒いマントをはおって白いユリの花束を抱え、そろりそろりと登場。泣けます。
これだけで、通常古典の『ジゼル』も実見したくなりました。
近々にはパリオペラ座がありますが…、また休日があわないよ~(涙)。