pico_usagi’s blog

つれづれ鑑賞記を引っ越し作業中です!

サリンジャーについての雑感① 『ゾーイー』

深い理由はないが、新潮文庫が好き。栞付きがいいのか…?
ときどき表紙が変わるけれど、最近はなんだかいやらしくなっていますね…。

村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の最後のあたりで、主人公と図書館司書の女のコ?の間で次のような会話があります。

「どうして離婚したの?」と彼女は訊いた。
「旅行するとき電車の窓側に座れないから」と私は言った。
「冗談でしょ?」
「J.D.サリンジャーの小説にそういう科白があったんだ」(以下略)

この小説を読んだ時点では、サリンジャーは「ライ麦」しか読んだことがなかったんですが、その後、『フラニーとゾーイー』に収められた『ゾーイ―』編で出てくることを知る。

ライ麦」を読んだだけではサリンジャーはあまり好きではなかったけれど、『フラニー』に始まる(?)グラース家のシリーズはいい作品が多いと思います。ユダヤ系・アイルランド系芸人を両親にもつ神童7兄弟妹は、『大工よ、屋根の梁を高く上げよ』『シーモア』のほか、『ナイン・ストーリーズ』にも登場する、サリンジャー史においてホールデンなんかより格上の?メイン・キャラクターだと思いますが、実際日本での知名度はどんなものなんだろう…?

ちなみに、サリンジャーはグラース家シリーズの最後の小説「ハプワース16,1924」で長兄シーモアを神格化しようとして破綻、断筆したとも言われています。「ハプワース…」など、サリンジャーが雑誌に発表した作品の中には単行本化を許していないものがあり、だから「ハプワース…」等は新潮文庫にはないんでしょうけど、荒地出版というところから、この作品や初期の短編が発刊されています。なんでかね。

『ゾーイー』では前作で精神的に参ってしまった末妹フラニーの力になろうと、すぐ上の兄・ゾーイー(グラース兄弟妹は上から下まで18歳の年の差があり、末のフラニーとゾーイーだけが美貌に優れ、あとは不細工らしい)が、次兄・バディからの長い手紙をバスルームでずっと読んでいて、口やかましい母親がこの奇行をとがめに押し入ってくる。そこでの会話の中に、先の村上春樹の引用したものがあります。

始終母親をからかう調子のゾーイーに、母親は「どうして結婚しないのかね」とぼやく。結婚すれば少しは「まとも」になるんじゃないか…?という母親はこの年代にはよくありますよね(実感)。
そんな彼女に対してゾーイーがいったのが次の言葉。

「それはね、僕が汽車に乗るのが好きだからさ。結婚したらもう、窓際の席には坐れないだろう」
「そんなの、理由になりますか!」

はじめは特に村上作品を意識していなかったので、引用部分とは気づきませんでした。
それくらい、セリフの意味づけが違うような気がします(レディーファースト文化の有る無しにかかわらず)。ゾーイーの場合は、世間にもまれて無感覚になったベシー(母親)への皮肉が込められているし、やっぱりそれがよくわからないベシーを怒らせている。村上春樹の引用は無意味さに意味があるのかもしれないが…、どうなんでしょうかね。

フラニーとゾーイー』を初めて読んだのはちょうどゾーイーと同じくらいの年だったので、彼らの繊細さに非常に同感したものです(しみじみ)。

サリンジャーの作品に描かれる、1950年代以前のNYやアメリカ東部都市の様子は、レイモンド・カーヴァーの描くアメリカとは全然違う。つくづく、アメリカって面白い国ですね。