pico_usagi’s blog

つれづれ鑑賞記を引っ越し作業中です!

いまさら『バベル』

今更ながら、『バベル』みました。
豪華キャストと日本人女優の出演(出世作)で話題になった反面、みるには気の重くなるアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥの監督作。

この監督の作品は、『21グラム』『アモーレス・ペロス』に引き続き、複数の人間の出会い頭の衝突と、それをさかのぼる個々の物語の描写という相変わらずの手法(←これが気の重い原因でもある)。
『21グラム』の場合、重苦しい人間関係と思わせぶりな暗い重い描写の割に、そこで鑑賞者が「何をみたか」、はっきりしないいらだたしさがありましたが、それに比べれば、『バベル』はすっきりと、感情移入のポイントがあったのか、リィアリティを感じました。

私の感情移入のポイントは何か?というと凛子サンではなくて、「命の重さ」の現実です。

 他愛のないモロッコ人の兄弟げんか(弟の方が射撃がうまいせいで兄のプライドが傷つく)からアメリカ人観光客の女性(ケイト・ブランシェット)が被弾、テロに過剰反応する他のアメリカ人たちと政府、素朴に彼らをとりまく現地の人々が対比的に描かれます。
 いったんは救命のためにバスを止めるも、自分たちの身の危険を守ろうとするヒステリーから、夫婦を置き去りにするアメリカ人の姿は、生き延びようとする人間のエゴがむき出しのようで、けっこうなまなましい。
 観ていると、アメリカ人がテロに脅えている(←もちろん、火のないところに煙は立たんでしょうが)というのは本当なんだな~と思ってしまいます(^^;)。
 言葉の通じない異境に足を踏み入れたのは自分なのに、急に夢を剥がされておびえる姿は平和ボケそのもの。結構、身につまされる話ではあります。そうした不安感の描写がうまい。

 話それますが、ケイト・ブランシェット、ほんと~にきれいですねぇ。

 さて一方、厳しい生活条件下で財産(家畜)を守るために手に入れた銃に運命を狂わせられた遊牧民の家族の命は驚くほど軽い。兄は現地の警官に射殺され(逮捕=破滅の図式は、あとのメキシコ人と同じ。だから彼らは逃げるしかない)、それを悲しむ父親の姿は親子愛の絶対を素朴なかたちで見せつけられるシーンです(←ちょっとのすれ違いでもめていたアメリカ人夫妻が、まったく、憎たらしくみえます。これも平和ボケ)。

 悪い人ではなさそうだが、支配者(資本家)としてのブラピはトレイニーでもあります。
 彼が子どもたちの子守をナニーに厳しくいいつけ、彼女の息子の結婚式の日すら、資本主義的な理論?を通そうとするから、メキシコ人のナニーはあっけなく、その人生を狂わせてしまいます。
 単純労働者の手を必要としているのもアメリカ人、その支え手である不法就労者を取り締まるのもアメリカ人の法。
 ここでも、同じ人間なのに彼女の人間としての尊厳が、軽い。

 メキシコ国境モノはけっこうありますが、いつみても、行きはよいよい帰りは恐い、というのはほんとうなのか~?と、思ってしまいます。
 たぶん現実なんでしょうけど、第三者的にはファンタジーみたいな現実にみえます。

 さて、日本のシーンのかかわりですが(日本での両銃所持の現実を無視した描写だといわれているらしい)、その事件をひき起こした銃の元所有者、という遠~い感じが、なんというか、リアリスティック。
電光あふれる東京の夜の奇妙な浮遊感が、日本の「遠さ」を強調しているようです。

 この「遠さ」からくる無自覚は、生きることにおいて結構罪なことだとしみじみする次第。
 いまさらですが、『バベル』のメッセージは結構痛く受け止められました。