pico_usagi’s blog

つれづれ鑑賞記を引っ越し作業中です!

バレエ『シンデレラ』と現代

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オランダ国立バレエ団とマリインスキー

名曲ながら、現代において名振りが難しいと感じていたプロコフィエフの『シンデレラ』。

ここにきて、納得振りを二つ。

 

まずは、ラトマンスキーによるマリインスキーの『シンデレラ』。

実は2002年の来日公演で、人生において初めて見たシンデレラがこの振付です。

当時は、何分初見だし、あまりにも現代より(ただし、1920~30年代のNYが舞台)なので、なかなかに受け入れがたかったのですが、クラシックとしての『シンデレラ』が迷走する中で、もう現代よりならば、かえっていいや!という気持ちになって…、再見。

 

主演は、私とどうも相性の悪いヴィシニョーワ様。

でもこのロールは、全然サイボーグっぽくなくて、生き生きして好印象。

すっきりとモダンな衣装と舞台装置も、もっさりしがちなロシア・マリインスキーには珍しく(失礼!)、音楽ともぴったり合う洗練された振りだな~と思いました。

現代人の感情としてイライラしがちな、いわゆる「シンデレラストーリー」感が薄くって、流れるように舞台を見ることができます。

王子役も、晩年の(失礼!)ヴィシニョーワ様と組むことが多いシャクリャーロフ君。往年のマリインスキーのプリンシパル(旧ソヴィエト組)のような花はないけれど、若手では実力派ですな。

 

…とまあ。こちらは少し前に見たので、ちょっと不利な感想ですが…。

 

ラトマンスキーが一番か?と思った矢先、現代の『シンデレラ』としてより洗練していると思ったのが、オランダ国立バレエ団のクリストファー・ウィードン(誰)?による『シンデレラ』。

はっきり言ってジャケットがもっさりしていたので、期待薄だったのですが…。

 

日本ではあまりなじみがないオランダ国立バレエ団ですが、オランダだけに、モダンに期待値上がる。

はっきりいって、主演のダンサーたちも全く知らないのですが…。

(ただし、だいたいが名前からして、ロシア系ですね)

 

初めに、あまり丁寧に描かれることがない、シンデレラの母親との思い出がプロローグに現れる。

父親も出てこないことが多いのですが…、オランダ版のパパは、よくあるようにあんまり飲んだくれでもない感じ。ただし、なぜか継母には弱い。(なんで結婚した…?)

 

王子も割と丁寧に描かれているので、子ども時代はこちらもあった。

ただ、あらすじを読んでいなかったので、こっちは最初「誰?」という感じ。

あと、嫁探し挿話もあったりと、わりと『白鳥』のジークフリートっぽい。

 

変わった演出(解釈)が多く、戸惑うこともありますが、舞台としてはすごく完成されていて、流れがスムーズだし、おしゃれ。

なんというか、ラトマンスキーは「モダンなシンデレラ」なんですが、こっちは現代的なおとぎ話といった感じで、きらきら感、わくわく感がまさにそれ。

 

魔法使いのおばあさん(善の妖精)は出てこないし、シンデレラと継母のいざこざも9「使用人扱い」というよりは単なる感情の縺れ(現代では、こんな義家族はあるあるだものね)のような感じ。

音楽とダンスを全くの連続でつないで、おとぎ話ムード全開のまま、エンディング。

いやはや、現代の全幕物として、とても面白い『シンデレラ』でした。

 

ただ…ね。

冷静になって思うこと二つ。

結局、シンデレラを幸せに導いたのは、「亡き母の愛」ゆえの魔法、という他力であること。また、「母の愛=絶対無条件の愛」という、ある種の古いジェンダー感。

シンデレラが相変わらず意志のない女の子、というのは型通りのままですね。

 

もう一つは、王子の花嫁候補に見る、19世紀ないし20世紀的帝国主義観。

クラシカルな『シンデレラ』は、王子はシンデレラ(昨晩の謎の姫)を探すために世界中を回る、というシナリオがあり、それを再解釈して、今回は各国の花嫁候補たちが中盤に出てくるのですが…。

 

もちろん、プロコフィエフの曲がそう、というのもあるんですけどね。

花嫁候補が、スペイン、ハンガリー、バリの姫を思わせるのはインドネシア

ハンガリーはちょっとよくわからない(もしくはロシア?)けど、スペインとオランダといえば、ハプスブルク系の同支配者だし、インドネシアは、戦前の植民地でしょ。

とくに、アジアの姫君はちょっと戯画化しすぎで、人種差別的なのよね…。

これってとっても、19世紀バレエ的な「政略婚」描写だな~と思ったわけです。

この点、新しいのか因襲的なのか、よくわからなかったところです。