pico_usagi’s blog

つれづれ鑑賞記を引っ越し作業中です!

21世紀、バレエの行方。

 
 ボリショイ観てきました。
 うろ覚えですが、最後にボリショイのステージを観たのはもう10年以上前では。
 『スパルタクス』以来のような気がします。
 
 今年はザハロワがウリですが、人気モノのチケットはとるのが難しく、地元で我慢の子。
 『白鳥』だし、近所がちょうどいいくらい、と思っていたのですが…。
 
 まず。
 すっかり世代が変わって、知らないダンサーばかりに。
 おかげで、買わないつもりだったプログラムを買いました。
 ストーリーは目をつぶっても分かるので、ダンサーのプロフィールを確認しようと思ったら、あまりバレエに詳しくないツレがストーリーを知りたがり、しぶしぶ貸してあげることにして次の幕に。
 
 確かに、ここでツレは「ハッピーエンドじゃないんだね~」といっていたのですが…。
 
 A席ながらにかなり前のななめ席というポジションだったため、いつになくダンサーの顔がよくみえました。
 すっかり若い子たちばかりのロシアっ子も、至近距離ではいもっこばかり。
 
 私が初めてみたバレエはボリショイの『ジゼル』、アルブレヒトがニコライ・ツィスカリーゼだったのですが、彼の場合遠目に「王子!」だった印象が強く、今回のジークフリート王子は初見なよなよした坊やだな~と。
 まあ、私が年取ったからかもしれませぬが。
 
 しかし彼の場合、よくよく考えれば、ジークフリートに合ってるのよね。
 『白鳥』といえば、王子の成人→母親からの政略結婚の圧力(この宮廷は母子家庭)→青春の終わりへの不安→突然の初恋→突然の誘惑と破局(この場面はいつも、男ってバカだな~と思う)→後悔と対決
 というのが筋なんだけれど、このジークフリートはどうみても甘ちゃんなのよね。
 だから、「理想の王子」じゃないのは当たり前。
 
 一方、今回のオディットは…ダメダメ。
 初登場でオディットであることが全然わからなかった。
 なんだか全体的に、動きが硬い。
 し、ちょと太すぎる。
 表情も一本調子なので、なんだか泉ピン子をみているような気分に。
 ぽっちゃりタイプのオディットはDVDのスウェーデンバレエ版でもみたことがあったのですが、彼女の場合、もうちょっと表情に変化があって感情移入ができたんですがね。
 王子とのバランスが今一つよくない。
 
 ちょっと見慣れてくると、もしかしたらものすごく箱入り娘の硬さなのでは、と思うようにもなったのですが。
 でもそれじゃあ、私が王子だったら一目ぼれしないよ。
 
 そしてうっすらこのとき思ったのですが、やはり、オディールになると怖かった!
 もう、動きがキレキレで、王子が刺されそうにみえるけど、なぜか王子はメロメロに喜んでいる。
 オディットに比べ、オディールは手練れの悪女っぽい魅力にあふれることはよくあるんだけど…、これはひたすら、女王だろ!という感じ。
 …いやー、『白鳥』じゃなくて、『ジゼル』のミルタとか、『スパルタクス』のクラッススの愛人とかがいいんじゃないだろうか、この人は。
 
 ↑終始こんな感じで、コールドも今一つバラバラな感じ。
 オディットの初登場シーンで、ふと、だいぶ前にみたヴィシニョーワの「サイボーグ・オディット」を彷彿とさせるものがありましたが、マリインスキーもボリショイも、新世代のスター不在を感じる今日この頃。
(ちなみに、今日のオディットはザハロワと同世代だそうで、どちらかというとベテラン)
 
 一方、唯一心惹かれたのはロットバルト。
 どうもロシアの(というか、ロシアが本場か?)のロットバルトの衣装はいつもダサいので、今日のロットバルトもそういう意味では残念だったのですが、初登場のシーンに瞠目。
 王子を操る悪魔の手、というパターンは今までないわけではないけれど、このシーンが二人の男性ダンサーの見事なシンクロになっており、一見の価値ある見せ場に。
 
 この時ようやく、グリゴローヴィチの表現メソッドが、アクロバティックな男性群舞だったことを思い出しました。
 ボリショイの魅力はこれだったはずよ!
 
 ところで、15年ほど前は一時失脚していたはずのグリゴロ氏、いまはすっかり復帰しているらしく、ベジャールなど鬼籍に入った今、この人はいったいいくつなんだろう、という謎が…
 
 ロッドバルトの見せ場は最後にもう一回あるはず、と、期待してオディール登場シーンを見守っていたのですが、このあたりから雲行きが怪しく。
 今回、私が観たのは新版のグリゴローヴィチ版なんだそうですが。
 王子がうっかり、オディットと間違えてオディールに永遠の愛を誓ったとき、すなわちオディットにかけられたロットバルトの呪いが永遠に解けなくなったことが決定した瞬間、というのは『白鳥』の中でも見せ場なのですが、このときのオディールはあまり劇的ではなく、今回はいつの間にかこの瞬間が終わっていた、という感じで、なんだか狐につままれた感じに。
 
 し・か・も、フツーなここでお休みが入るのですが、新グリゴロ版はこのままノンストップで怒涛のように下る。
 楽しみにしていたロットバルトの対決も、なんだかよくわからないうちにロットバルト優勢のうちに終わり、な・ん・と、王子は悪を倒しもしないし、自殺をして「死をも恐れない愛」でロットバルトを滅ぼしもしないし、たった一人、呆然として終わる!
 
 …そしてまた、私も呆然として終わる。
 
 一説には、旧ソヴィエト時代のボリショイは悲劇を回避する傾向があり、「悪に打ち勝つジークフリート」といういかにもボルシェビキ的なハッピーエンド描写を好んで演じていたと聞きますが、てっきり今回も分かりやすくそう終わると思っていたのに…。
 
 ↑ちなみに、今までこうした呆然ラストは一回だけ観たことを思い出しました。
 DVDですが、ヌレエフ版がそう。
 
 …いろんな意味で、白鳥ながらに感想がジェットコースターのようにダダダとでます。
 
 『白鳥』はそもそも19世紀的なバレエですが、受容する側としては、20世紀の戦後の変遷をしみじみ思う全幕ものです。
 ↑細々いろいろ書いていますが、大局的な感想をひとこと。
 こうした20世紀の「クラシック」バレエはこの先どうなるのか?
 どのようヴァージョンが、現代に生きうるのか…?
 などと、ふと思った一夜でした。
 
 ひとまずはこれにて。