pico_usagi’s blog

つれづれ鑑賞記を引っ越し作業中です!

『春の祭典』見比べ。

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思えば、私がバレエ道(←?)に入ったきっかけは、1998年にいまは無きセゾン美術館で開かれた「ディアギレフとバレエリュス展」でした。
いまでもまあ、バレエといえばまずロシアの作曲家のバレエ音楽を思い浮かべるのもそのせいですかね。

それほどバレエに詳しくない人でも、ストラヴィンスキーの『春の祭典』といえばなんとなく知っているような気がするはず。
バレエの振付では、現在ではたぶんベジャール版が一番有名でしょう。
いまだ、ベジャールの本領(音楽の解釈力は別として)がどれを基準にすればよくわかりませんが…、初期?の、セクシャルな側面が全開なものの代表作は『春~』ですかね。
曲自体は、もともとはディアギレフのバレエ団のためにストラヴィンスキーが提供した20世紀初頭のもので、初版の振り付けは伝説のダンサー・ニジンスキー
ニジンスキー版初演の巻き起こしたスキャンダルは、ベジャールどころではなかったというのが定説です。

この後間もなくニジンスキーはバレエ・リュスを離れてしまうので、その後何十年と歴史から消えていったという、これまた幻の振付。
1970年代のアメリカで、資料のないこのニジンスキー版が奇跡的に再演されたとかで、日本でも数年前に兵庫で復刻上演がされたとか。
あれほど有名な曲ながら、なかなかバレエ映像が手に入らない演目でしたが、ついにDVDを入手。2008年のマイリンスキー版です。

…毎度のことながら、入手してからしばらくほったらかしになっていたのをようやく観てのレヴュー。

ニジンスキー振付家としての才能もまた賛否両論(実際、この後勝手に結婚したことが恋人ディアギレフの逆鱗に触れ、ダンサー生命がほぼ終わってしまう)のところですが、私にもその真価はよくわかりません。
このニジンスキー版をみるかぎり、この人はよほどダンスの正面性を否定したかったのかな~、という感じですね。
『牧神たちの午後』のように、ダンサーはプロフィールを強調。平面的に振りつけられています。
スキャンダルの原因になったのが、重心が低くねじ曲がった姿勢でほとんど跳躍のないダンスと、ロシアの土俗性を強調した点だとよく言われますが…、なるほど。
…でも、いまみても革新的かというよりは、当時「これがダンスか?!」といった人の気持ちもわかるような…。
珍しい、とはいえますが、個人的にはあまり面白くないデス。
(ちなみに、当時ストラヴィンスキーニジンスキーが自分の音楽を全くわかってないと怒ったとか)
それとも、案外いまのマイリンスキーのダンサーたちの表現力が弱いからかもしれません。
DVDの編集も、どちらかというとスター指揮者・ゲルギエフを前面に押し出そうとしているふうで、時どきダンスシーンが消えてしまいます。

どうでもいいことですが、『のだめ』の千秋先輩のようなフツーにスタイリッシュな指揮者というのはいないんじゃぁ、というような気にさせられる、ゲルギエフ。いっちゃってます(笑)。

あんまりにもつまらないので、もうひとつ、だいぶ前に買ったモスクワ・バレエ団のカサトキナ・ワシリョフ版を見直してみました。
こちらは、現代とロシアの土俗が中間くらいの感じで、思う存分の跳躍と運命的な象徴主義があり、ニジンスキー版よりすんなり入ることができます。ダンサーもうまい(ちょっと残念顔ですが)。

ベジャール版もずいぶん前にテープ演奏の東京バレエ団でみただけ(男は首藤康之さん、女は井脇幸恵さん。個人的に井脇さんのほうが好き)だし、ピナ・バウシュ版はピナらしく男性暴力炸裂で痛々しかった記憶しかありません。

もっともよく解釈された『春の祭典』というものを、もう一度生上演(演奏)で観てみたいものです。
あ、落ちがない…。