pico_usagi’s blog

つれづれ鑑賞記を引っ越し作業中です!

ヤン・リーピン『孔雀』

有名だけど、今まで観たことがなかったヤン・リーピンの舞台を観てきました。
 
コンテンポラリー、といえばそうなんだけど、西洋のダンス言語とは違い、中国、そして少数民族の伝統、ということで、ちょっと観方に戸惑うこともありましたが…。
 
途中で、気づきました。
一言でいうと、「3D春夏秋冬図屏風」。
 
ヤン・リーピンは雲南省少数民族出身だそうで、漢族とは違うから、厳密にはそういえないのかもしれませんけど、何となく、あ、これ神仙思想だわ…、と思った次第。
東洋の神様は、そうそう、何もしなくって、ただみてるだけなのよね。
(全能だからといって、雷を落としまくったり、人を試したりはしない)
春夏秋冬図屏風と同じ、時はただ、右から左へと流れていくだけ。
万物はただ、流転する。起生と消滅を繰り返しながら。
 
なんだか、漢詩みたいだなぁ。
日本の山水図と違う、深遠で緊密な中国山水図と何となく通じるものを感じました。
 
…というわけで、もっとスペクタクルな舞台化と思ったら、とても東洋らしく(?)、ゆっくりゆっくり時間が過ぎていきます。
なので、隣のツレは寝てました…。
そうだろうなぁ。
 
バレエ・メソッドや、その影響のつよい日本のコンテンポラリー・ダンスに慣れているので、頭を切り替えるのが結構大変。
ちなみに、舞台の端っこでずーっと回っている「時間」役の女の子がいて、あ、これが少し前にネットで話題になっていたヤン・リーピンの姪かぁ、とふと思い出しました。
 
どうしても邪念が働いて、孔雀の美しい羽根はオスだけだろう、と突っ込みたかったり、
またしても悪役の烏がどうみてもパンクにしかみえなかったり。
「神」に形象を与えまいとする意気はわかるが、最後の映像はちょっと…、など)
烏の横恋慕はロットバルト(※こちらはフクロウ)をほうふつとされますが、特に懲罰されず冬の中に滅びていくのが、ちと唐突な感じですが、何とも東洋的。
 
ヤン・リーピンの表現力は、バレエのような脚力中心ではなくて、上体中心の様です。
確かに、孔雀の表現がオーチャードホールの舞台で視線を集中させるからすごい。
アクロバティックな動きは少なく、群舞も「舞」というかただの群れ。
 
今回観た『孔雀』は、ヤン・リーピンの民族的な自然観(生命観)の影響が濃いそうですが、舞台としては、これまで紹介されてきたものに比べ異色なのだとか。
なので、まだまだ未知のダンサーといえそう。