pico_usagi’s blog

つれづれ鑑賞記を引っ越し作業中です!

オペラ座とノイマイヤー「椿姫」

個人的に、わりと長い間「椿姫」が苦手でした。

バレエに限らず、どうもアルマンの若い男ぶりにイライラさせられることが多く…、というわけで。

 

バレエはギエムとニコラ・ルリッシュペアの「マルグリットとアルマン」実見と、マリシア・ハイデの歴史的な映像、オペラ座のBDを見たことがあり、オペラ座に関しては、これも長年苦手だったアニエス・ルテステュ主演だったため、一度見た時はあまり心に残らず、しばらく放置していました。

 

しかし、このところのオペラ座再見ブームと、私とアニエスさんの和解?、自分も歳をとって寛容になったこと(笑)などの要素が重なって、お正月休みの鑑賞映像に選んでみました。

 

究極に言って、マルグリットを演じられる人は限られているなーと思いました。

アニエス様は、かなり抑えた感情表現で、年上の女性の心の動きを繊細に表現していたと思います。

ある意味、映像向きで、実際の舞台だとどんなんだろう…。

こうした演技が、終始流れるショパンの調べと一体化しており、淡々と、文学的な舞台を流れるように振り付けるノイマイヤーの洗練度は素晴らしく、カンパニーとして文学的表現がうまいオペラ座ならでは。

アニエスはアデュー公演に椿姫を選んだそうですが、さもありなん。

 

アルマン役のステファン・ビュリヨン氏は、初見の時は「誰これ?」感が強く(当時はエトワールでなくプルミエ)、のめり込めなかったのですが、粗暴な若さ、というタイプのアルマンではなく、どこかしらある暗い表情が、流れるようなノイマイヤーの舞台を邪魔せず、ある種の若者のリアリティを含んでいるなーと思いました。

 

この人も、いつの間にか(というか去年)引退を迎えたエトワールだったよう。

時の流れが経つのは早いもの…。

 

そのほか、脇役(と言っても、重要な役どころ)がさすがオペラ座で、劇中劇のマノン役のデルフィーヌ・ムッサンのマルグリットとの無言のリンクがなんとも言えないし、デグリューはホセ・マルティネズ、こんなちょい役でも丁寧で役にピッタリ(マリオネット感大)。

このところ偏愛のカール・パケットもアルマンの友人役としてちょい遊び人役が板、「白鳥」のロットバルトとは逆ベクトルではまり役のような気が。「オネーギン」のレンスキーとかも合いそう。

 

話変わるけど、ビュリヨン氏はわりと悪役キャラで立っているらしく、ヌレエフ版のロットバルトもレパートリーとしてかかれていたから、カール様のような舞台をやったのかな…。イワン雷帝もやっているそうで、ある意味、現役時代に実見したかったな…。

 

それから、マルグリットの友人役のドロテ・ジルベールも、小狡いところがカール君とナイスコンビでした。

パチパチ。

 

今回映像を見て、ノイマイヤーの「椿姫」は、当たり前かもしれませんが、一連の流れとして「人魚姫」や「ニジンスキー」と似た流れだなー、と思いました。

ハンブルグ・バレエは、この映像の2009年ごろのようなオペラ座ほどキャラがたったダンサーはいませんが、それでも誰であれ、この流れを完成させるようなダンサーたちが豊富(だと思う)。

 

そのノイマイヤーもついに引退(というか、ハンブルグを離れる)そうで、さよなら公演?が3月にあり、演目的にはあまり興味のない「シルビア」が全幕タイトルですが、頑張って見に行こう、と思う今日この頃。

 

 

またまたの、『白鳥の湖』みてくらべ。

ニーナ・アナニアシヴィリの白鳥

 

 先般、ブルメイステルの「白鳥」を見直した盛り上がりで、同じオペラ座の名盤、ヌレエフ版のマルティネズ&ルテステュ公演を観よう!と思ったら、BDが破損していて、2幕がみれない有様に。

 

 ワタクシ的永久保存版につき、廃盤になったら嫌だー、と思い、中古で買い直して無事鑑賞。

 1回目でみた時よりホセ氏やアニエスさんへの偏見が薄くなり、カール・パケット様と合わせ、素晴らしきワンダースリー。

 思い返せばかなり人物の内面が抽象化された振りで、現代のスワン・レイクとしてはとても興味深いです。詳しくは、過去のブログで。

 

 ちなみに、購入したソフトは日本販売向け製品だったらしく、日本語解説もついており、前回なんとなくそうだろう、と思っていたことが明確になりました。まさに怪我の功名。

 

 さて。

 同じショップでニーナ・アナニアシヴィリの「白鳥」DVDが販売されていたので、ついでに購入してみました。

 

 以前書いた事がありますが、フェリ、ギエムらに並んで20世紀末の名プリマとして名高いニーナさんですが、個人的に芸風があまり合わないようで、感銘を受けたことはありません。

 

 現役晩年?にダイジェスト版のニーナの「白鳥」舞台を実見した事はあるのですが、ニーナには確かオディールの回転技の伝説があったよな…、と思い、みてみることに。

 

 ジークフリートはニーナとのペアでも有名なファジェーチフ(私的には、某ギャグ漫画のせいでこの人はオッサンにしかみえない…)ですが、ボリショイではなく、ペルミというロシアの地方都市バレエ団で客演した映像のようです。

 

 クレジットには1992年とあるから、ソ連が崩壊して間も無く、ニーナさん20歳そこそこですかね。

 振付もこのバレエ団の人か、あまり聞いたことのない名前がクレジットにあり、みた後の印象としては、散々悪く書いたマリインスキーものに近い感じ。なんというか、ソヴィエト伝統墨守型、といいますか。

 

 先のヌレエフ版を見た直後に見たので、その古臭さというか、もっさり感がかなり印象に残ってしまい(ある意味、印象に残らないというか…)、高評価にならないのが残念。

 

 ・ロットバルトが普通…フクロウの衣装が短袖。ロシア系ではよくあるような気がする。

 ・ジークフリートの悩みがいまひとつわからない…これはファジェーチフが演技派ではない、というのではなく、そういう振付なのでしょう。

 

 件のニーナさんですが、若いけれどテクニックが安定していて、動作ひとつひとつは完璧なのだけれども…、まあ、振り付けのせいなのだろう、とは思いますが、

 

 ・オディットと王子が恋に落ちた瞬間がわからない。

 

 これは、手練れ?のルテステュ姐さんの演技を見た後のせいかもしれませんが、オデットはただナヨナヨしているだけにしか見えません。(ただし、踊りとしては完璧です)

 

 ・オディールも「元気のいい娘さん」くらいで、誘惑者に見えない。

 

 ニーナさんが若すぎるせいなのか、そういう振りなのかはもはや不明。しつこいですが、踊りは完璧。

 

 ・最後の感動が不明瞭。

 

 これは他のマリインスキーもの(セルゲイエフ版)に近く、ラスト、王子は戦うわけでもなく、死を決意するわけでもなく、文字通りオデットを掲げてロットバルトに立ち向かい(笑)、オデットの力でなぜか勝利する。(もはや、笑うしかない)

 

 おまけに、これも旧ソヴィエト系にありがちですが、幕ごとにカーテンコールをするので、高笑いで去ったロットバルト親子すら戻ってくる。

 なんとかならんのかい。

 

…ということで、旧ソヴィエト系の「白鳥」は全幕ものとしてみた場合あまり面白いとは思えず、オフでのニーナ姐さんは結構好印象なのですが、ダンサーの実力は今ひとつ?なのでした。

 

 おしまい。

 

 

 

ブルメイステル版パリ・オペラ座「白鳥の湖」再見。

ここ最近、コロナ禍で舞台不足。

そんな気分のムラで夏にロイヤル・バレエのガラを見ましたが(急に第7波が盛り上がった時期だったので、田舎人としては恐怖の最中)、やっぱり、全幕がみたい!という気持ちがムラムラ。

 

秋は流行が穏やかだろう、と思い、物色したら、モンテカルロ・バレエしかない。

マイヨーとは前回来日の「LAC」でようやく和解?したような気がしましたが、前衛でも基本好みではなく、しかも「じゃじゃ馬ならし」なので、同じ月のスーパースター・ガラとすごく迷いましたが…、全幕にかけることに。

 

…この感想はいつか書こう。

 

さて。前置きが引き続き長いですが、上京するついでに、展覧会をみることに。

しかし2022年はどういう訳か、どうしてもみたいと思う展覧会がなく・・・、諸事情?からアーティゾン美で開催されているオペラ座の展覧会を見ることにしました。

 

アーティゾンは2回目ですが、良い美術館ですね。

 

個人的には近世のフランス文化史にあまり興味がなく、なかなかに難しい展示ではあり、さらにはオペラにも興味がないのが辛いところでしたが…、資料的には良いものが多く出されており、ロマンティックバレエのあたりから、グリジとかプティパとか、ようやく理解できる範囲に到達。

 

2020年のオペラ座来日公演の際は、知っているプリンシパルが激減していたことに衝撃を受けたものですが、展示の最後にバレエ公演の映像ダイジェストが流れていて、おそらく最近のキャスト、この映像が欲しいなーと思いました。売ってないかな…

※展覧会自体は総合舞台芸術が主題なので、必ずしもバレエのみ主ではありません。

 

ようやく前置き終わり。

 

そんなわけで、久しぶりにオペラ座のDVDを観ようと思い、やや苦労して中古版を手に入れた「ル・パルク」をみてないかも…(実際には観ており、パッケージを手にしてやや退屈だったことを思い出しやめた)、とか、カール・パケット様の「白鳥」(カールはロットバルト)で痺れたい?とか、逡巡しながら、最終的に観たのが、1992年公演のブルメステイル版「白鳥の湖」。

 

初見であまり楽しめなかったような…気がしたのですが、ラクロワみたいな、1980−90年代のギラギラしたパリ・オートクチュールの世界を見たいような気がして、チョイス。

実際にはアーティゾンにも展示されていた毛利臣男氏の衣装デザインで、これが超カブキ調=わかりやすい異国趣味だったので、これが初見では楽しめなかった理由のひとつだったことを思い出す。

 

ただ、何年前に購入してみたかは忘れてしまったのだけれど、再見してみると、この80ー90年代的ギラギラさのエネルギーが、今となっては面白いなぁ、と思いました。

なぜかアーティゾンの展示ではディスられていた(?)バスティーユも出来立てほやほやの頃、時代の高揚感とうまくマッチしている。

 

ブルメイステル版は自分が見慣れているグリゴローウィッチ版やヌレエフ版に比べてやや説明くさく、野暮ったく、古臭いというイメージがありましたが、これは他の映像、ザハロワ&ボッレのスカラ座バージョンのせいで、20世紀黄金期(私称)のピエトラガラ&パトリック・デュポンというスーパーペアにこのゴージャスさと緻密な描写がすごくマッチしており、「白鳥」を観た後あるあるの、「これだから男は!」というイライラを感じることなく(笑)みる事ができました。

ちなみに、エンディングは意外にもハッピーエンド。死をも恐れないオディットの愛が悪に打ち勝つ、というバージョン。呪いも解けて、めでたしめでたし。

 

深読みすればやはり男に都合のいい話なんですが、総合芸術の完成度の高さにそれも霞んでしまいます(笑)。

 

どうでもいい事ですが、通常よくあるように、オディールがオディットに擬して王子を誘惑する、というふうには今回は見えず、オディットとオディールは別人格のように見えました。

(元々、白鳥は二人は別のダンサーが配役されていたところ、都合がつかなく急遽一人のダンサーが踊り、成功して定番化したと言われる)

なので、間違って結婚を申し込んだ、というよりはただ誘惑に負けた、というようにみえ、妙にリアリティ(男の浮気として)を感じましたよ。

 

公演不足の昨今、お題が「白鳥」だと、また白鳥かよ〜、とつい思ってしまうのですが(笑)、ブルメイステル版の白鳥をオペラ座キャストで観てみたいものです。

 

 

 

 

ファッションの夢の90年代



一昨年の+J以来、ファッション世代の90年代と昨今の若者についてしみじみ感じ入る、90年代の若者世代です。

 

アパレル関係者の推しにより、俄然スチーマーのSteam  Oneに興味持ちつつ、3ヶ月ほど二の足をふみふみしつつ、ようやく購入しました。

 

…が、劇的!

 

安ーいスチーマーを一度購入、失望して、パナソニックのハイエンドアイロンを買いつつも、結局どうにもならなかった不器用な私ですが、このスチーマーには、なかなかにファッション意識を目覚めさせられるものがありました。

 

もちろん万能ではありませんが、ホームクリーニングラバーで不器用で、そこそこにファッションに愛のある人にはおすすめのアイテム。

 

さて。

 

この項は何も家電ステマではなくて、やはりファッションの話。

 

先週ユニクロUの秋冬販売があり、夏にはマルニのコラボあり、昨冬の+Jのラストがあり・・・ということを挟みつつ、90年代のハイファッション流行の渦中にあった40代ウサギとしては、なんとなく、最近のファストファッションや量産系女子なるものに思うところボチボチ。

 

…昨年の+J1終焉に、時代の終わりとZ世代なるものと避け難いジェネレーションギャップを感じていたウサギですが、ユニクロU2022Awの盛り上がり低さに、いろんな意味で注視していたところ、生まれたのがヘルムートラングのコラボ。

 

最近ファッションYouTubeなる人がいますが、大抵は30代、私からいえばひよっこにラング語る資格なし。いちいちブランドのうんちく垂れる人が多くて…、正直うんざりです。

 

…しかし実際のところ、あまり盛り上がってないようですね。

 

ユニクロが極めた、ある種のミニマリスム✖️良心価格✖️品質過不足なし、という状況に、ラングのようなデザイナーはもはや、打ち手なし(響くところなし)なんでしょうね。

そもそも、ラング自体、ファーストリテーリング傘下に収まっているらしいし…、日本のファッション・コングロマリットにもはや、夢はないですね。

 

私自身、今はユニクロの限定店舗すらない県に住んでいるのですが、たまたまユニクロUの幻影を追って今日近所の店舗に行ったところ…、偶然、このラングの商品が入荷しており、試着してみたところです。

 

元々がメンズサイズの展開で、最小サイズの28インチが無かったため、自分の本気ショッピングにはなりませんでしたが、Y2Kでもない、この90年代の扱いにくさについて、実経験者としては、もちろん当時もお金も実力もないにせよ、向こうみずでいられた若い世代の非現実感(背伸び度合い)には、全く、隔世の感です。

 

モノの長所は、確かに、前評判通り、でもタグだけでジーンとしてしまうのは…、40代のノスタルジーなのか。

 

ちなみに、確かに90年代のワンウオッシュジーンズの流行と、太いロールアップ流行の先駆はラングだったような気もする…し、どういうわけか流行った、ロールアップ風Gジャン(死語?)に憧れつつ、ビンボー学生には当然手を出せずに、しかし2000年頃、ヴィアバスストップで2万円でラング・ジーンズのプレーンなGジャンを社会人になってから大人買い(今の物価にしては安いけど)できた時も感動といったら…、を経験した40代です。

 

現実大好きの今の若者たちにももちろん同情はするるけれど、ファッションに重い価値を置くことができた90年代の勢いが失われている昨今、寂しいなあ、と思う思いを書き残しておこう。

 

 

 

 

映画「アネット」ー1990年代アンファンテリブルとそれから

何かの拍子に、レオス・カラックスの新作が公開されることを知り、また、主役がなぜか気になるアダム・ドライバーということを知り、かつ、県内公開があり、しかも、月曜がサービスデー、というめでたきトリプル+で、「アネット」を見てきました.

 

カラックスは「ポーラX」以来.

気がつけば、このフィルムの主役だった、今お騒がせのフランス人俳優ドパルデューの息子が、知らないうちに若死にしていたという…、かつ、90年代後半のバルカン半島の戦争の暗い影を背負った、何とも言えないフィルムですが.

 

個人的に、20代のヘタレ女子ならばだまくらかせたかもしれませんが、中年女子の今の私にとって、やはりカラックスは永遠のヘタレ男子.

なので、「アネット」も基本、先日のギリアム同様、永遠の「男子」映画だなー、という現在での分かり合えなさを感じた次第.

 

アネットの人形もかなり不気味で、何でこんなレトロ臭い人形を使うんだろう…と思ったけど(いかにもヨーロッパ的アナクロ)、途中、「傀儡」としての寓話的演出なんだなー、と、リアリスムを放棄して戯画として見ることができました.

 

それにしても、アダムは怪優なのか、今回は、ラマンチャのトビー以上に全く心惹かれない人物として現れています.

オペラ歌手が「何度も死ぬ」ことで讃えられる、と、あっけらかんと言ってしまうのが、皮肉屋のコメディアンだからか、はたまたそういう人だからなのか.

コロナ禍の撮影か知りませんが、主要人物はたったの三人(プラス、人形)という構成は、ますます寓話的で功を奏している模様.

 

ちなみに、あれ?っと思ったら、水原希子とか福島リラとか、出ていました.

割とアンチが多いけど、キコさんは良い女優だと思うよ.ガンバッテ.

 

カラックスは、個人的には「汚れた血」以外はあまり・・・という印象(「ボーイ・ミーツ・ガール」もあまり覚えていない)で、どれも煮え切らない自画像が、繰り返し、中年女子には無理.

映画中に出てくる六本木の描写が、とても90年代的だったので、カラックスもまま90年代で止まっているのか・・・・と思い、90年代前半の「アンファンテリブル」と呼ばれた監督たちを、ふと、懐かしく思い出しました.

 

と、売れっ子路線をいったリュック・ベッソンはさておき、ジャン・ジャック・べネックス氏は今年亡くなっていたのですね….しみじみ.

 

↑個人的な思いが交錯して、あまり良い評価が言えませんが、エンタメや滋味滋養だけが映画でない様な気がするし、ある意味斬新な現代ミュージカルとしては一見の価値あり.

まあ、好きかどうかは別として.

 

 

 

 

テリー・ギリアムと「ドン・キホーテ」

久しぶりに?映画を見ました。

GW中につき(例によって、私は関係ないが)、色々無料で観られるものも更新中。

GYAO!で「テリー・ギリアムドン・キホーテ」が公開されていたので、あれ?と思いました。

 

「ロスト・イン・ラマンチャ」で長年のプランが失敗した、のが公開されたのすら、20年ほど前。

そんなぼんやりとした思い出から、えー、できたのー?と思っていたら、主役がアダム・ドライバーだし、最近できたのかーと。

ちょっと狐につままれながら、みることに。

どうでもいいことですが、アダムの妙に長い顔と頭身が、なぜか好きというか…、癖になっている模様(笑)。

 

↑事情を知らない人が楽しめるかどうか、正直、微妙なフィルムではある。

「わー、できたんだー」と思える人が見る映画だなあ、という感じ。

キホーテは兎に角、主役は当初ジョニー・デップが据えられていたことを思うと、今や泥沼離婚訴訟にすっかり汚いオヤジイメージになってしまったデップだと、実際、どんなストーリー想定されていたのか、そっちも気になる.

 

商業フィルムビジネスにすっかり飲み込まれた若いCM監督が、まだピュア?な頃の学生フィルム制作時代に撮影した、スペイン現地の素人を採用してとった「ドン・キホーテを殺した男」の映像に偶然(かしこみか)再会、懐かしく思うも、自分たちの行動が小さな田舎の村を変えてしまったことを知り、また、撮影以降に自身をキホーテと思い込み、「狂人」扱いされてしまった老人とも再会、「サンチョ」と思い込まれて、犯罪も絡みつつ流浪?の旅に巻き込まれ・・・、虚と実入り乱れて進むストーリー.

 

「何かに取り憑かれ」「正気を失う」「男」と「現実」、オリジナルのキホーテ然り、この映画の老人然り、主人公のトビー然り、そして、「呪われた映画」に囚われすぎたギリアム然り、というところですが・・・.

 

でもね。はっきり言って、これは女には理解できない男のロマン、というところで、突き放して見れば全然感情移入も同情もできない映画です。

ちなみに、トビーも俗に塗れた俗っぽさと、ピュアな時代のコントラストがもう少し強く出ていれば・・・、と思うの。

何となく、ただ困惑して意思もなく、変化もなく、ただ老人についていく若者、という感じ。

まあ、現実はドラマティックではなく、そんなものの方がリアルな状況なのかもしれないが。

キホーテ元ハビエルが、サンチョに「お前はいつまで、俺俺俺、なんだ」というところ、結構現実とウツツの肝だったと思うのだけど、一体、トビーにどのくらい響いていたのか分かりにくい。

 

なお、「トビアス」は聖書に出てくる旅の逸話が有名な名前ですが、寓意性のある役名なのかしら?

 

しかし、今は日本の芸能界でmetoo運動のローカル展開が見られる状況ですが、そんな時代にあって、映画中に描かれる女優と監督(あるいは、金のある権力者)の関係性描写が露骨で、映画界自体が男たちの虚、という現状?にもややうんざりします。

 

…と、つまるところ、やはり、この映画は永遠の「ドン・キホーテ」そのもの。

そういう意味では大変よく、本歌取したフィルム。

あとは好きかどうか、というところか。

 

なお、キホーテ=ハビエルは、普通にスペイン人かと思ったら、「未来世紀ブラジル」の主人公の俳優さんだった。

キホーテ役も、ギリアム映画の中では「呪われた」要素(降板続き)だったのだが…、何というか、ギリアム映画においてはある意味、当然の帰結的。まさに「ブラジル」的。

 

映画の原題は「ドン・キホーテを殺した男」で、ラストを言い表したタイトルでもあり、当初からの仕込みでもあり、かつ、「父親殺し」(男の子は父親殺しを経て初めて一人前の男子となる)というマッチョな伝統的思想そのもの、でもある、興味深いフィルムです(笑)。

 

 

 

テリー・ギリアムと「ドン・キホーテ」

久しぶりに?映画を見ました。

GW中につき(例によって、私は関係ないが)、色々無料で観られるものも更新中。

GYAO!で「テリー・ギリアムドン・キホーテ」が公開されていたので、あれ?と思いました。

 

「ロスト・イン・ラマンチャ」で長年のプランが失敗した、のが公開されたのすら、20年ほど前。

そんなぼんやりとした思い出から、えー、できたのー?と思っていたら、主役がアダム・ドライバーだし、最近できたのかーと。

ちょっと狐につままれながら、みることに。

どうでもいいことですが、アダムの妙に長い顔と頭身が、なぜか好きというか…、癖になっている模様(笑)。

 

↑事情を知らない人が楽しめるかどうか、正直、微妙なフィルムではある。

「わー、できたんだー」と思える人が見る映画だなあ、という感じ。

キホーテは兎に角、主役は当初ジョニー・デップが据えられていたことを思うと、今や泥沼離婚訴訟にすっかり汚いオヤジイメージになってしまったデップだと、実際、どんなストーリー想定されていたのか、そっちも気になる.

 

商業フィルムビジネスにすっかり飲み込まれた若いCM監督が、まだピュア?な頃の学生フィルム制作時代に撮影した、スペイン現地の素人を採用してとった「ドン・キホーテを殺した男」の映像に偶然(かしこみか)再会、懐かしく思うも、自分たちの行動が小さな田舎の村を変えてしまったことを知り、また、撮影以降に自身をキホーテと思い込み、「狂人」扱いされてしまった老人とも再会、「サンチョ」と思い込まれて、犯罪も絡みつつ流浪?の旅に巻き込まれ・・・、虚と実入り乱れて進むストーリー.

 

「何かに取り憑かれ」「正気を失う」「男」と「現実」、オリジナルのキホーテ然り、この映画の老人然り、主人公のトビー然り、そして、「呪われた映画」に囚われすぎたギリアム然り、というところですが・・・.

 

でもね。はっきり言って、これは女には理解できない男のロマン、というところで、突き放して見れば全然感情移入も同情もできない映画です。

ちなみに、トビーも俗に塗れた俗っぽさと、ピュアな時代のコントラストがもう少し強く出ていれば・・・、と思うの。

何となく、ただ困惑して意思もなく、変化もなく、ただ老人についていく若者、という感じ。

まあ、現実はドラマティックではなく、そんなものの方がリアルな状況なのかもしれないが。

キホーテ元ハビエルが、サンチョに「お前はいつまで、俺俺俺、なんだ」というところ、結構現実とウツツの肝だったと思うのだけど、一体、トビーにどのくらい響いていたのか分かりにくい。

 

なお、「トビアス」は聖書に出てくる旅の逸話が有名な名前ですが、寓意性のある役名なのかしら?

 

しかし、今は日本の芸能界でmetoo運動のローカル展開が見られる状況ですが、そんな時代にあって、映画中に描かれる女優と監督(あるいは、金のある権力者)の関係性描写が露骨で、映画界自体が男たちの虚、という現状?にもややうんざりします。

 

…と、つまるところ、やはり、この映画は永遠の「ドン・キホーテ」そのもの。

そういう意味では大変よく、本歌取したフィルム。

あとは好きかどうか、というところか。

 

なお、キホーテ=ハビエルは、普通にスペイン人かと思ったら、「未来世紀ブラジル」の主人公の俳優さんだった。

キホーテ役も、ギリアム映画の中では「呪われた」要素(降板続き)だったのだが…、何というか、ギリアム映画においてはある意味、当然の帰結的。まさに「ブラジル」的。

 

映画の原題は「ドン・キホーテを殺した男」で、ラストを言い表したタイトルでもあり、当初からの仕込みでもあり、かつ、「父親殺し」(男の子は父親殺しを経て初めて一人前の男子となる)というマッチョな伝統的思想そのもの、でもある、興味深いフィルムです(笑)。