pico_usagi’s blog

つれづれ鑑賞記を引っ越し作業中です!

テリー・ギリアムと「ドン・キホーテ」

久しぶりに?映画を見ました。

GW中につき(例によって、私は関係ないが)、色々無料で観られるものも更新中。

GYAO!で「テリー・ギリアムドン・キホーテ」が公開されていたので、あれ?と思いました。

 

「ロスト・イン・ラマンチャ」で長年のプランが失敗した、のが公開されたのすら、20年ほど前。

そんなぼんやりとした思い出から、えー、できたのー?と思っていたら、主役がアダム・ドライバーだし、最近できたのかーと。

ちょっと狐につままれながら、みることに。

どうでもいいことですが、アダムの妙に長い顔と頭身が、なぜか好きというか…、癖になっている模様(笑)。

 

↑事情を知らない人が楽しめるかどうか、正直、微妙なフィルムではある。

「わー、できたんだー」と思える人が見る映画だなあ、という感じ。

キホーテは兎に角、主役は当初ジョニー・デップが据えられていたことを思うと、今や泥沼離婚訴訟にすっかり汚いオヤジイメージになってしまったデップだと、実際、どんなストーリー想定されていたのか、そっちも気になる.

 

商業フィルムビジネスにすっかり飲み込まれた若いCM監督が、まだピュア?な頃の学生フィルム制作時代に撮影した、スペイン現地の素人を採用してとった「ドン・キホーテを殺した男」の映像に偶然(かしこみか)再会、懐かしく思うも、自分たちの行動が小さな田舎の村を変えてしまったことを知り、また、撮影以降に自身をキホーテと思い込み、「狂人」扱いされてしまった老人とも再会、「サンチョ」と思い込まれて、犯罪も絡みつつ流浪?の旅に巻き込まれ・・・、虚と実入り乱れて進むストーリー.

 

「何かに取り憑かれ」「正気を失う」「男」と「現実」、オリジナルのキホーテ然り、この映画の老人然り、主人公のトビー然り、そして、「呪われた映画」に囚われすぎたギリアム然り、というところですが・・・.

 

でもね。はっきり言って、これは女には理解できない男のロマン、というところで、突き放して見れば全然感情移入も同情もできない映画です。

ちなみに、トビーも俗に塗れた俗っぽさと、ピュアな時代のコントラストがもう少し強く出ていれば・・・、と思うの。

何となく、ただ困惑して意思もなく、変化もなく、ただ老人についていく若者、という感じ。

まあ、現実はドラマティックではなく、そんなものの方がリアルな状況なのかもしれないが。

キホーテ元ハビエルが、サンチョに「お前はいつまで、俺俺俺、なんだ」というところ、結構現実とウツツの肝だったと思うのだけど、一体、トビーにどのくらい響いていたのか分かりにくい。

 

なお、「トビアス」は聖書に出てくる旅の逸話が有名な名前ですが、寓意性のある役名なのかしら?

 

しかし、今は日本の芸能界でmetoo運動のローカル展開が見られる状況ですが、そんな時代にあって、映画中に描かれる女優と監督(あるいは、金のある権力者)の関係性描写が露骨で、映画界自体が男たちの虚、という現状?にもややうんざりします。

 

…と、つまるところ、やはり、この映画は永遠の「ドン・キホーテ」そのもの。

そういう意味では大変よく、本歌取したフィルム。

あとは好きかどうか、というところか。

 

なお、キホーテ=ハビエルは、普通にスペイン人かと思ったら、「未来世紀ブラジル」の主人公の俳優さんだった。

キホーテ役も、ギリアム映画の中では「呪われた」要素(降板続き)だったのだが…、何というか、ギリアム映画においてはある意味、当然の帰結的。まさに「ブラジル」的。

 

映画の原題は「ドン・キホーテを殺した男」で、ラストを言い表したタイトルでもあり、当初からの仕込みでもあり、かつ、「父親殺し」(男の子は父親殺しを経て初めて一人前の男子となる)というマッチョな伝統的思想そのもの、でもある、興味深いフィルムです(笑)。