pico_usagi’s blog

つれづれ鑑賞記を引っ越し作業中です!

ドイツ写真の現在。

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どこかの展覧会のようなタイトルですが、専門ではないので、あくまでも個人的雑感です。

学生時代、京都国立近代美術館の小スペースでベッヒャー夫妻とその弟子たち展みたいな展覧会を観たことがあり、1990年代のドイツ写真に興味をもっていた時期がありました。
当時はまだ、「その一人」的にしかみることができなかった(日本では)アンドレアス・グルスキーなどは、今では世界一高額の写真、とか何とかで、すっかり巨匠。近年、大個展が日本でもありましたよね。

トーマス・ルフもベッヒャーの教え子だったなぁ、と知ってはいたのだけれど、なんとなく、↑写真にあるようなポートレイトの作品の印象が強く、今一つ「ベッヒャーの弟子」としてはぴんときていなかったのですが、現在金沢で開催中の展覧会を観て、あらためてベッヒャーの教えたもの、についてしみじみとしました。

初期のインテリアシリーズは、ベッヒャーの厳格なメソッドと、そこから浮かび上がってくる様相の提示、というものがルフの目を通して表現されている、という点で面白かったのだけれど、ルフはベッヒャーをそのまま継承する作家ではなくて、現在まで、様々な、そしてルフでしかない一貫した「仕事」をしているのだなぁ、ということがよくわかり、とても面白かったです。

方法としてはベッヒャーの教えに近く、わりと初期のポートレイトシリーズは、ほんとうに一面でしかなく、日本で「ルフ」といえこれ、みたいな刷り込みどおりにメインビジュアルを決めるのはどうか…とは思いますが。

近年観たグルスキーとかティルマンス(※この人はベッヒャーの教え子ではなかったような)の個展は、いずれも国立美術館だったけれど、どちらかというと展覧会自体が作家による作品(表明)で、それはそれで面白いんだけど(現存作家はクロニカルな回顧展を嫌がる傾向にありますな)、今回はキュレーターによる展覧会だなぁ、という感じに仕上がっていました。
個人的には、こういう写真展もたまにみたいですな。

グルスキーなんかもそうなんだけど、時々、写真家にとってフィルムの世界からデジタルへの変化はどうなんだろう、と素人は思ってしまうのですが、グルスキーなんかも自由にデジタル合成をやってるみたいに、ルフもアダプテーションに違和感がない模様。
コンテンポラリーに制作している、というのが、この両巨匠の一貫性をかえって証明しているようで、なんというか、スゴイですね。

あらためて、写真とは、写真家とは、イメージとは、みることとは、みているものの実態とは、真実とは…、などと思う。

図録は買ったけど、写真の冊子のつくりはやはり、展示とは別物のカタログっぽくなっていて、もうちょっと立体的にみえる(表現として正しいかは不明)ものが欲しかった…なぁ。