pico_usagi’s blog

つれづれ鑑賞記を引っ越し作業中です!

東京美術散歩、晩秋編。

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最近アート編サボってました( ´Д`)y━・~~。
観てないわけじゃ、ないのだけど。ブログから遠ざかってますな。

それはさておき、久々に。

9月に東京駅を歩いていたら、ぶち当たった、プラドのボス出品のニュース。
一番の代表作《地上の悦楽の園》ではないものの、ボスの真作が日本に来るなんて、みなくてどうする(;´Д`A。

三菱一号館美術館は私立の美術館なので、なんというか、この頃の公立館のようにマスコミタイアップのいやらしさがなくて、「プラド美術館」といってもこじんまりと落ち着いて観られました。
展示室が狭いし、暖炉とか、部屋の調度が残っていたりという空間で、それにあわせた小さい作品が選ばれており、なんというか、個人の邸宅で観るような親密さがあってよかった。
ボスも案外フツーに展示されており、おかげでまじまじ観ましたよ(;´Д`A。

やっぱり初期ネーデルラント絵画はいいなー、と個人的に思い、後半、予想どおりスペインのドメスティックな絵画になってちと退屈だったけど、空間的にムダにただでかいバロック王侯肖像画はなくて、それなりの好感度。

この日は他に都現美へ行き、オノ・ヨーコと都市としての東京を読むとやらの展覧会をみたけれど、どちらも…。

とくにオノ・ヨーコのほうは楽しみにしていたんだけと( ´Д`)y━・~~。
回顧展なら10年ほどまえに水戸芸術館でみたのがよかったし、そもそも、東京の文脈でみるオノ・ヨーコというのが…、キュレーションの文脈としてどうなのだろう。
回顧展でもないし、過去のyes展を超えた「いま」のオノ・ヨーコでもないし。
ただ、あらためてオノ・ヨーコがセレブ(戦前からの名家)というのがしみじみわかる、ちょっと俗っぽい印象が残る。

キュレーションではっとするのはむしろ東近美。
昨年みた映像展と同じ、何をみせてもらえるのか、広告ではちっとも伝わってこないので二の足踏みましたが、雨であんまり歩きたくなかったので、東西線でえいやあと。

70年代の、伝説くさい、京都で開催された展覧会を、なぜ、いま、東京で再現するのか、その意義がちっともわからない展覧会ですが、写真や当時のジャーナリズム、出品者のインタビューを収集・解析する、企画者の意味不明な熱意にまず脱帽。

展覧会とは何か、をあらためて考えさせられます。

事前知識も全くないし、同時代的なシンパシーもないので、最初はかなりしんどいですが、ビデオが登場した頃の、美術家たちの素朴で、しかし映像(ビデオという新しいメディア)の可能性を実証的に試そうという真摯な態度にそのうち感動すらおぼえます(;´Д`A。

展示構成も、再現者の思考に沿うように、出品作家/作品個個の検証がまず提示されていて、たまによくわからないケースもあり、それはそれでそのままに提示される。

どうでもいいことだけど、河口龍夫氏が関西出身とは、いまさら知りました(;´Д`A。
ヒマワリの種とか、鉛とか、有機的なものと科学を並置した「関係」の人かと思っていたけれど、この映像作品は面白かったし、昔から「関係」で何を思考してきた人なのか、いまさらわかりました。
スミマセン(;´Д`A。

…と、最後に会場再現展示へ。
当時の作家たちの熱気と、本展企画者の執念のようなものが、なんだか涙ぐましい(;´Д`A。

表現に取り組むときの、実験的な精神はだいじだなぁ。
あと、フジタもなかなかおもしろかったデス。

ほか、改修後の庭園美も久しぶりにいきました。
ここも消極的な選択だったのだけれど、意外におもしろかった(;´Д`A。
コンテンポラリー・ジュエリーは、いつも中途半端で退屈だなぁ、と思っていたのですが、オットー・クンツリ氏はさにあらず。
ドイツ人(オーストリア帝国圏を大ドイツ的にいって)らしいユーモアと構成力、皮肉あり。
ミキモトの真珠でミッキーつくってたり(´Д` )、結構笑えます。
かと思えばシニカルに、束縛のペアリングをつくってたり。

エントランスでポケモンのコス・ポートレートをみたときは帰りたくなりましたが、空間との対峙もよく、最後のロングインタビュー画像は、思わず全部ききそうになったよ(;´Д`A。

当たり前ですが、ジュエリーは高く、最後は何か買いたい気分になるも、買えませんでした(u_u)

↑とまあ、いつもながら雑色気味に。
あと、久隅守景も観ました(;´Д`A。