pico_usagi’s blog

つれづれ鑑賞記を引っ越し作業中です!

展覧会あれこれ。関西編

先週観た展覧会について、ここらでメモ書き。


.札ンティーニ展
琵琶湖のほとり、佐川美術館で開催中。感じのよい美術館でしたが、如何せん、交通が不便ね。
昨年ちと仕事で関係したこともあり、今年のみたい展覧会の一つでしたが、東京の立ち上がりは地震のため延期に。私にとっては地球の裏側的に遠い静岡で観ることはまずないので、ここらでお手打ち。
セガンティーニは西洋美の常設に最近1点ずっとかかっていて、いわゆる「分割主義」以前の作品なのですが、なるほど、光に対する感受性の鋭さがうかがえておもしろいなぁ、と思っておりました。
農民を描いてもけしてミレーのような感じにはならないのも、何を感じ、表現したいか、の違いが歴然としているからなのでしょうかに。
光を分析的にとらえて表現するのは、たぶん西洋人ならではの「伝統」なのだなぁ、としみじみ。
もっとも有名な?作品はもちろんアルプスを越えてはやってこなかったようですが(^^;)、かなりみごたえあり。
図録をみていると、やはり↑こうした細かい表情が飛んでしまうようです。


堂島リバービエンナーレ
大阪へ寄ったので、街の中で観れるし便利は便利だが…。
それぞれの作品の弱さ、自己満足から出ない域にがっかり。
誰でも簡単に作品がつくれる時代というものはコワいコワい。
それにしても、最近日本で乱立する「ビエンナーレ/トリエンナーレ」、自然に勝てない作品というのもなんですが、「その街で観る楽しさ」が毛ほどもない産業見本場みたいな開催はどうなんだろう…。


モホイ=ナジ展
結局京都で追いついたモホイ=ナジ。でもかつてと違って、京近美の会場レイアウトがそんなに嫌いではなくなったような気がしました。
それはさておき、バウハウスの教師陣の中でも、作家としての実像がいまひとつよくわからなかったモホイ=ナジ。大回顧展をやってくれてありがとう。なかなかわかりやすかったです。
今回これをみて、構成主義と光を分析的にとらえようとする芸術志向が、やはり西洋合理主義の長い伝統だということがしみじみわかりました(モ~氏はハンガリー人ですが)。
なんというか、16世紀と20世紀の文脈に断絶がないのよ。
写真という技術は現在ではすっかりアナログ表現に変わってしまい、キネティックアートもいまみるとずいぶんレトロな感じがしますが、当時はもちろん最先端。
にもかかわらず、やはり断絶はないし、作家の探求心というものが作品からわかるのよ。
だから、↑現代のコンピュータや映像に頼りすぎる作品が、いかに皮相的で、真摯さに欠けているということが対照的によくわかりましたよ。
私はモノをつくらないから好きなこというけど、作家の皆さんにはもうちょっと真摯に「表現」というものにむかいあってほしいものです(~~;)。