pico_usagi’s blog

つれづれ鑑賞記を引っ越し作業中です!

『C夫人の恋人』

 
   現代は本質的に悲劇の時代である。だからこそわれわれは、この時代を悲劇的なものとして受けいれよ
  うとしないのである。大災害が起り、われわれは廃墟の真っただなかにあって、新しいささやかな棲息地を
  つくり、新しいささやかな希望をいだこうとしている。それはかなり困難な仕事である。いまや未来に向かっ
  て進むなだらかな道は一つもないから、われわれは、遠まわりをしたり、障害物を越えて這いあがったりす
  る。いかなる災害が起ったにせよわれわれは生きなければならないのだ。
 
 ↑タイトル伏字ですみませんが(^^;)、裁判にもなった有名な?『チャタレイ夫人の恋人』です。
 なにかと描写が過激?とか、貴族の若い奥方と森番(使用人)との恋愛ばかりがとり立たされますが、それだけではもったいない、「生きること」についていろいろ考えさせられる小説で、結構好きなもののひとつ。
 私の学生時代にようやく「完訳」版が出て(※最初の発刊は昭和25年)、その頃にも読みましたが、久しぶりに読み直してみました。
 
 冒頭を引用してみましたが、これは物語の舞台と、作者D.H.ロレンスの生きた時代の色を濃く反映しています。
 現代=1920年代のヨーロッパであり、大災害=未曾有の戦禍をもたらした第1次大戦後を生きなければならなかった人々の空虚感がそこかしこに現れています。
 ベル・エポックの終焉を目の当たりにした世代の喪失感とは、フィッツジェラルドら「失われた世代」の作家たちの小説にもみられるように、現代のわれわれには追体験しがたいなにかがあるようですね。
 
 古い秩序に固執し、意志さえあればそれが戻るとさえ信じている人びと(クリフォード)と、戦前と同様であり得ない今日にそれを求めること、すなわち現実軽視の限界がみえている人びと(コニー)との感情の相違や、前者に前途をふさがれ続ける人びとの諦観(メラーズ)など、現代人の相互不理解のために起こる悲劇がテーマなのかなぁ、と今回思いました。
 時代が動いているからといって、メラーズのような下層階級の人間が飛躍的に上昇することはあり得ないし、上層階級だけではなく、同じ階級の中にもそれを望んでいないものは大勢いる、というのが現実。
 それでも「生きていかねばならない」ということを受け入れてようやく、救いがあるような気がします。
 
 日本ではもっぱら、「芸術か猥褻か」が論争になったそうですが、実はあまり主題に関係ないような気が…。
 日本人には同感しにくい階級間の問題が意外と主題なのかな~と(前回はあまり気づきませんでしたが)。
 本国イギリスではそこが人びとを刺激したのでは…、なんて想像します。
 ちなみに、ロレンス自身は炭鉱労働者の子で、ドイツ人貴族の女性と恋に落ち、のちに結婚。時代が時代だっただけに(ドイツ=敵国)、いろいろ大変だったようです。まったく写しでないにせよ、『チャタレイ~』にはそうした経験が反映されているようですね。