pico_usagi’s blog

つれづれ鑑賞記を引っ越し作業中です!

若い世代の美術作家に思うこと

さて、今回久しぶりに若手(20代から40代くらい)の作品展を3つ観てきました。
‥豕?垳渋緘?儡曚MOTアニュアル、国立新美術館のアーティストファイル展、メゾン・ド・エルメス小谷元彦展です。

ふだん高齢社会?に暮らしている私にとっては、「若いつくり手がいる」ということ自体めずらしや~というところもあるのですが、それはさておき、基本的に若手の作家はあまり好きではありません。
ま、好みの問題かもしれませんが、現代の「若手」の作品には特有の「甘さ」があって、若かろうが相手に100を求める自分(←何様?)にはどうも合わないようなのです(^^;)。

作品に必ずメッセージ性を求めるのもかなり偏った見方だな~と、自分でも思うのですが、あまりにも自閉的な作品ばかりが目につくと、ちょっとウンザリしてしまうのが正直な気持ち。
わざわざ公開の場でそれをやる意味がわからない。
そういうことは一人でやったらどう?といつも思ってしまいます。

 ↓はだいたいそんな感じでした。

それにしても、「美術とは美しくなくてはならない」という固定観念同様、若い作家には「美術とは醜のなかに美を見出さなくてはならない」というベクトルが逆の、これまた一種の固定観念があるような気がします。
「装飾」というテーマのせいもあるのかもしれませんが、工芸的に形骸化した作品は一種のマニエリスムだな~、と感じた次第です。

べつに工芸的でもいいんだけれど、やる以上は技術的に未熟な場合はちゃんと自覚をもってほしい。
自分に甘すぎるシュガー社員ならぬシュガー・アーティスト、アンチです。

そんなわけで、ルノワール展をみにいく(←職業柄、どうも雑食気味)ついでに行った△癲会場に入るまではずいぶん気が重かったのですが、こちらは楽しめました。なんでですかね。
キュレーションの傾向によるのか(←またまた何様発言)、スペースの関係なのかはわかりませんが、表現する意志のようなもの、それを汲もうとする自分の力がこちらのほうがつよく働いたような気がします(←すべてがそうだったともいえませぬが)。
作品とのコミュニケートができないと、観ていてもつまらないものだな~、と、妙なところでしみじみしてしまいました。