pico_usagi’s blog

つれづれ鑑賞記を引っ越し作業中です!

キーロフと白鳥

ひさびさに地元でクラシックバレエの公演があるので、観に行ってきました。
地方公演には選択の余地がなく、もはやダンサーの世代交代が進みすぎて誰がスターかわからない状態でしたが、「白鳥」に限っては、生オケ演奏が聴けるということだけで十分。
特に有名な「情景」は、ハープによって水面のきらめきが、そのほかの弦楽器によって夜風のざわめきがほんとうに聞こえるようで、想像力がかきたてられます(ただし、主旋律のオーボエはどう聴いても「ながた~にえん」に聞こえる。恐るべし、刷り込み)。

実公演で白鳥の全幕をみたのは7回目(マシュー・ボーンなど、変わった振り付けも含め)、持ってるDVDも5種。あとで思い出したのだけど、キーロフ(現在はマリインスキー)は2回目。
実際、日本で一番知られている演目だからかもしれませんが、それだけに「ベスト」を探すのは難しい。

それにしても、最近キーロフはあまり評判良くありませんが、実際さもありなん、という感じでした。
誰もかれも、オーラなし。
かといって、カンパニーらしさでパシッと統一されたところもなく。
一般に、同じロシアでもボリショイのダイナミック・劇的な特質に比して、キーロフは上品・繊細といわれますが…、物足りん。

この日のオディットは最初のキャスティングから変更になっていて、ヴィクトリア・テリョーシキナが主役。すごくうまいというわけでもなく、遠目にみると顔が長い。群舞にまぎれるとオディットをみわけるのが大変。

王子はエフゲニー・イワンチェンコ、顔がちっちゃいが、背すじが王子を演じていない。
というか、これはキーロフ版の特質なのかもしれませんが、王子が舞台上をただ無駄に歩いているだけようにみえる、身のもてあまし感あり。

そしてロットバルト。ここで以前の記憶がほぼ全開したのですが、キーロフ版のロットバルトはちょっと間抜けにみえる。衣装が悪いのか…。もともと、ロットバルトは悪魔そのものというよりは夜の象徴・梟なので、その意味では忠実なのかもしれませんが…、頭がトサカにしかみえないし、下手すると、変なローマ人にみえる。
し、翼が短いので、ますます間抜け。
ここで悪魔らしく、動きにキレがあれば救われるのでしょうが、この日躍ったロマチェンコの動きは緩く、ダメダメ。

ちなみに、私が初めてみた「白鳥」はキエフバレエで、マクシム・モトーコフという人がロットバルトをやったのだけれど、身体の動きが柔らかく鋭く、最も記憶に残るロットバルトでした。初見だったかからかもしれませんがね。

ダンサーそのものよりも気になったのは、最後のカーテンコールのみならず、幕ごとに拍手を求める演出。そういえば、以前のキーロフの「白鳥」もそうだったので、芸風?なのかしら。
これはいちいち幕が切れてしまって、個人的にどうなの~?と思います。
とくに2幕の終幕後。ロットバルトの罠にはまって、王宮は悲劇の嵐が吹きまくって幕を閉じるのに、また幕が開いてダンサーがにこやかに挨拶するのは…、演出としてどうよ?

2年前は東京でヴィシニョーワでみたのだけど、当時も「ええ~!」と思った理由が今回よくわかった…。

「白鳥」はロシアのバレエ団が踊ってこそ、とは思うのですが、振り付けで最も解釈がことなるのがラストシーン。
オディットと王子は救われるか?が最大の分かれ目ですが、一般に、旧ソは二人が自殺してあの世で永遠に結ばれる、というパターンをネガティヴとして嫌ったそうで、大方、現在でも王子がロットバルトが戦って勝利、ハッピーエンド、というバージョンが採用されています。

といわけで、今回のキーロフ版も戦った…ハズ。
というのも、よわよわしい演技で、王子に意志が感じられず、ロットバルトの羽根を手に持っているところが、壊れやすい人形を触っちゃったらとれちゃった、どうしよう、オロオロ…、というふうにしかみえなかったのよ。

変な意味でおかしくて、笑いながら、カーテンコールそこそこに劇場を後にしたのでした。
かくなる上は、ボリショイのグリゴローヴィッチ版を探して、リベンジするしかないのかしら。