pico_usagi’s blog

つれづれ鑑賞記を引っ越し作業中です!

エミリー・ウングワレー

イメージ 1

最近、美術鑑賞を楽しめなくなっています。
感動がウスイ。
でも久しぶりに楽しめる展覧会がありました。新国立美術館で開催中のオーストラリア・アボリジニ女性画家のエミリー・ウングワレー展です。

10年ほど前に80代で亡くなり、「画家」として活動したのが晩年の10年に限られてるというウングワレー。この辺のことは後で書くとして、作為のない表現、伝統と乖離しない芸術に、ただただジーンとしています。基本的に地方在住の私は田舎の人だな~と思うけれど、それでもこういう作品に向き合うと、自分が土(自然)と切り離されて生きていることが哀しくなってしまいます。
都会の人間もどこか原始的な部分をもっていて、普段は自分の奥底に潜んでいると思うけれど、ときどきそういう部分を解放しないとしんどくなる。ウングワレーの画をみていると、そうした緊張を解いてやることができるようです。

あ~うまく書けませんね~

ポストカードの写真なので斜めになってへんですが…。
ウングワレーはもうひとつ「カーメ」という名前をもっていて、これは「ヤムイモ」という意味なんだそうな。この点描はヤムイモの種をモチーフに、すべての生命の源を表現しているらしいデス。
自分の記憶とリンクする部分で、こういう黄色い花(雑草系)が野にわーっつと咲いている様子、生命力のすさまじさに驚く瞬間があり(うーん、ブタクサか…?)、つまり感動(アレルギー持ちなのでブタクサは嫌いだが)が共有できるような気がしたので、選んでみました。

実際の作品はガッシュの艶のない質感が土の質感に似ていて、しかしこうしたものは印刷物やWEBでは再現できませんね…。

と・こ・ろ・で
作品もキュレイションも展示も混雑具合も、私の気分にとてもマッチするいい展覧会(←何様?)でしたが、疑問なのは紹介の仕方というかその視点。
展覧会概要から問題の個所を引用すると

「西洋美術の歴史とはまったく無縁な環境にありながら、その作品は抽象表現主義にも通じる極めてモダンなものとして、世界的に高い評価を得ています」

この解説っていったいどうよ。
西洋文明と関係なく「アート」を生み出す人間(民族)などいないことが前提に読めるんですがね…。
アジアの島々に自然を抽象化した高度な文様文化が古くからあるのは、近代の西洋文明と関係ないでしょ?
抽象芸術=モダン=西洋化ではないでしょう!

ちなみに、ウングワレーは「画家として知られる」以前に、オーストラリア政府の政策?のもと、バティックを制作していたそうです。
バティックは高度な抽象文様文化だろう…。

し、か、も、ただ紹介文を読んでいたら、ある女性がおばーちゃんになって急に旺盛な制作意欲を発揮して画家として名声を勝ち得た、というちょっと微笑ましいエピソードにも読めますが…。
実際はどうなの?
ウングワレーは部族の儀式で重要な役割をはたす、ボディ・ペインティングを施す人(地位的なものか職人なのかはよくわかりません)だったそうです。
つ・ま・り、カンバスに描く前からプロだったんですよ!

最近美術批評にはいろいろ思うところあるんですけど…。なんだか限界を感じるぞ。
展覧会はよかったのに、残念。

ちなみに、ウングワレーの制作ドキュメントも会場にあったのを合わせてみることをお勧め。
布を地面に置いてそのまま描いていたようです。
こじゃれた?パネル貼り展示は西洋人的な編集(感性)が入っているのかもね。

でも、オーストラリアのキュレイター(白人系)によると、ウングワレーの画には上下・左右という概念がないんだそう。
だからまあ、文字通り枠にとらわれていようが、作品はもっと広いってことですかね。