pico_usagi’s blog

つれづれ鑑賞記を引っ越し作業中です!

『薔薇の名前』

今年の夏のイタリア・マイブームの最後に。
ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』を再読してみました。
大ベストセラーだと思って話をしていたら、その場にいた老若男女が誰も読んだことがなかったから…。

私が初めて読んだのは学生の頃で、ハードカバーの本は高いので、先輩に借りました。
その後、知人にもらったのだけれど、再読せず、そのうちほかの人に貸したらそのまま引っ越しされて返ってこなかったシロモノ。
まるで最初の手記に書かれたような顛末?
あんなにベストセラーだった(はず)のに、お近くの図書館にはなくて、ちょっと遠征して借りてきました。

それはさておき、テクニックとしてはミステリーですが、エーコの専門・記号論と中世哲学、ヨーロッパ中世史の知識が込められたお話です。
以前は、西洋史の学生だったのでその視点で興味をもったような気がしますが(イタリア専門の先生がいた)、いまは結構、忘れてますね(^^;)。
犯人(というか事件のきかっけ)をもう知っているから、ミステリーとしてのドキドキ感は薄れましたが、ボルヘスの『バベルの図書館』がひとつのモチーフとなっていると他の書評から知った(当時はボルヘスを知らなかったし)ので、それについて読んでみるか~、という感じで着手。
そういえば、盲目の老人・ホルヘは盲目の図書館長・ボルヘスファーストネームだったんですねぇ。

いろいろなエピソードや過去の諸文献が入れ子になっているのですが、今回解説をあらためて読むと、小説が書かれた1980年ころ(※日本語訳は1990年出版)のイタリアの世相も反映しているそうです。

そういえば、1960年代後半から70年代のイタリア美術(というか、西洋のアートシーン全般)がコンセプチュアル・アート全盛だったことをふと思い出しました。
その後の1980年代のアートシーンは模倣と引用とパロディーへと移行していったことを思うと、当時時代の雰囲気として「知の限界」というものがあったのかな~という気がします。
(実際、小説中で知への欲望が若い修道僧を死なせていますし)

読みにくさもあるので、「面白いのでお勧め!」とはいえませんが…。
この夏感じた、イタリア美術の日本人への説明のしがたさと同種の「知」(※書くと何でもないけれど、口語で説明するのはほんと大変)があるようです。