pico_usagi’s blog

つれづれ鑑賞記を引っ越し作業中です!

『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』

私が住んでいる町は昔から町の規模の割には映画館が多かったのですが、1990年頃には町中から映画館が消え、入れ替わりに郊外型シネコンができ、最近では競争激化でシネコンも淘汰され、ついにまた1か所位になりそうな感じです。車で30分ほど走れば別のシネコンがあるのですが…、なんだかねえ。
最近は「インディージョーンズ」とかみたいなのをそこらじゅうでやっている感じで、ますますミニシアター系がみにくくなってきました。

『ゼア~』も、ミニシアター系ではない気もしますが、隣町の場末的なパチンコ店隣接映画館で「県内唯一上映」だそうで、行ってみました。
ダニエル・ディ・ルイスが汚れ役を快演しているとのことで、いったいどういうのかな~?と思い、興味がわいた次第です。

ダニエル氏は今から15年ほど前、ほかの映画を観にいった時に予告篇『ラスト・オブ・モヒカン』で「すごいハンサムなのか?」と期待してみに行ったときも、本当にイケメンなのか謎でしたが…、すっかり歳をとっててびっくり(『存在の耐えられない軽さ』もハンサム役だったが…)。笑い顔はかなり癖のある人で、前評判で聴いていたほど「悪人」にはみえなかったぞ…?足がまっすぐできれいだな~と、どうでもいいところで感心していました。ま、あまり女性がみて楽しい(いやでもないけど)話ではないからかもしれないが。
最近知ったんですが、ダニエル氏はここ10年ほど、俳優休業してたんですね…。

主人公はある種のカリスマ事業家としてみんなをまとめているようにみえるので「孤独」にもみえないし、自分から穴に入って鉱脈(または油田)を掘り当てる執念は血の汗かいて働いている人として立派だし、自分にたかろうとする人をちゃんと見抜けるし、父親と息子の関係が成長とともにうまくいかないのも定番だからね…(女同士なら「友達親子」もありなのだが。男性同士は難しいの?)。悪にも強欲にもみえないので、私にはただの「時代映画」にしかみえなかった。
牧師の狂信的なのには呆れましたが、そうした感情はちゃんとダニエル氏が画面上でやってくれているし…。この人、最後は「いじめないでくれよ~」といいながら殺されちゃうので、不気味さも半減。

でも、「時代が読めない」というのは、イーライ牧師のように1900~1930年代を生きた人々(とくにアメリカ)にとっては深刻な現実だったようですね。以前スタインベックの『エデンの東』なんかを読んでいてもそう思いました。

ところで、なぜか昔みた『キャラクター』という映画を思い出しました。
父と子の感情のもつれって、第三者からみると「愛してるんなら本人にちゃんと言えよ」という突っ込みで片付けたくなるものが多いのはなぜ?

映画にも小説も、最近はおも~い大作をみたいと思っているのですが…。
なかなか出会わないのも自分の感受性が鈍っているのか?

先月からなぜか男性向き?映画ばかりみてますが、次にみたいな~と思っているのも『イースタン・プロミス』。
これもマフィアの話なので…。何でこんなマッチョ臭いものばかりみたいのか?謎。
ヴィゴ・モーテンセン(とくにアラゴルンファンではない)の「謎の運転手」ぶりを確認したいのですが、これこそ地方ではみる機会がなさそう…。こういうフィルムは上映期間中にみないと忘れそうだし…。