pico_usagi’s blog

つれづれ鑑賞記を引っ越し作業中です!

バレエ「ジゼル」みて比べ

f:id:pico_usagi:20210517185032j:plain


 

コロナ禍でバレエ実見機会が激減中。

 

目下、アフター・コロナ(があるとすれば)に海外遠征ツアーが復活するかが、本当に気になるところ。

 

さて。

GW中にいろいろ音楽で遊んでいたときに、急に思い出したのが「ジゼル」。

個人的に、アルブレヒトがジゼルの墓にやってくるシーンの音楽がものすごく好き。

というわけで、まず持っているジゼルDVDを再見してみました。

(なので、過去と重複する記事もある鴨ネギ)

 

最初に観たのがオペラ座の2006年公演。

レティシアプジョルとニコラ・ル・リッシュのコンビです。

 

前にもかいたと思うけど、プジョルの、特に死後のジゼルは霊としての冷たい感じがものすごく印象的。

これによって、「ジゼル」が必ずしも無償の愛(男にとって都合のいい女性像)の具現ではないのだ、と思った、記念すべき一本。即ち、愛とは個人の感情ではどうにもならない、運命のようなものなのだよ。

ニコラはロイスとしてはもっさり君、だけど、さすが王子はかっこよくなっており、こちらも後半の方がおすすめ。

 

2本目に、「無償の愛バージョン」を観ようと思い、ザハロア&ボッレのスカラ座版にしようかと思ったのですが、これがあんまり面白くなかったよな〜、という記憶があり、Amazonを漁ったところ、フェリ主役の古いスカラ座のDVDがヒットし、これを買いました。

 

フェリ主演の1996年公演は、以前ビデオで持っていて、今時ですから、再生できなくて再見が叶わなくなっていた映像。

以前は気づかなかったのですが、アルブレヒトはマッシモ・ムッルだったんですね…

ちなみに、ジゼルには1幕目の主役コンビ以外の見せ場に農民カップルの踊りがあるのですが、この農夫が、まだ21歳のロベルト・ボッレだった…

初見は2000年頃だと思いますが、なんと、歴史的な映像だったのですねぇ。

ボッレは、散々書いててきたように、私にはあんまり良さがわからない方なんですけれども、いつも何気なくみている農夫ダンスとは破格に上手い。

(ボッレ好きの方にはスミマセン)

ムッルも、私が知っているのは大体30代くらいの頃で、何というか、印象は薄いんだけど陰があるダンサー、というか、虚無的な感じがあるというか…、そういう意味では観念的なコンテンポラリーの方が似合うように思っていたのですが…

一言。

若くて可愛い(変態的)。

何というか、年齢的にもちょうどアルブレヒトのリアル年齢に被っている感じで、まだ青さが抜けないけど、ジゼルを経て大人になっていく、というような感じがうまくリンクしているのです。

踊りも繊細でバネがあり、キレイ。

 

あ、主役はフェリです。

フェリは「狂乱」の場がすごい、という評判だったような気がしますが、当たり前ですが、全体的に上手いです。技術もしっかり、感情表現についてきているという点でもさすが。

生前も生き生きと可愛い娘=ジゼルの表現が可愛いし、これは惚れますよね。

 

見比べポイントとしては第2幕の死後の表現なんですけど、これはプジョルが目を開けっぱなしで瞬きすらしないところに霊を感じたですが、フェリはものすごい伏目。前が見えてるのかな…というのが心配になるくらい。

これが死者と生者の違いの表現なんでしょう。

やや、私の思う「無償の愛」バージョンに近い関係性ですが、もうちょっとマイルドな感じ。

(都合のいい、とまで感じないくらい)

ラストのアルブレヒトの印象から、ジゼルだけでなくアルブレヒトの物語なんですね、と思うような映像です。

 

一つ残念なのは、ヒラリオンがややフツーの人にしか見えないところかなぁ。

オペラ座のロモリはちょっと気味悪さを感じさせるくらいだけど、基本的には「粗野」さがわかる描写があった方がいいと思う。

 

さらにもう一つ、ここでザハロア=無償の愛強バージョンを観ようと思ったけど、やっぱり、名盤を観たい、という気になり、ヌレエフ&カルラ・フラッチのローマ・オペラ座版、1980年公演を再見。

 

結論。やはり名盤です。

 

私自身は世代的にあまり詳しくないのだけれど、フラッチのジゼルはプリマの中でも伝説的なんだそう。

ヌレエフもやや歳をとった頃になるのだけれど(特にロイス時代の髪型が気になる)、やっぱり感情表現と技術においてはこれ以上のアルブレヒトは望めない、というくらい全てが素晴らしい。

全体的なメイクの古臭さが始め気になって仕方ありませんが(ミルタも…、トロカデロみたい)、見慣れてくると、そんなことをいっていられないくらいになります(笑)。

 

このバージョンは、先の2本と少し演出が違うな〜(お母さんによるウィリの説明〔脅し〕がない、ヒラリオンが最初「目に見えない」ウィリに襲われている、アルブレヒトの従者が墓参りを邪魔しない、コールドのウィリはベールをかぶっていない、教会の鐘がならない、など)、と、古いからかと思ったのですが、これはラヴロフスキー版なんだそうで、だからなのかしら。

でもそれはそれで、スッキリと踊り勝負でやっています。

 

残念なのは、ビデオ移植版のDVDなので映像がぼやっとしている所ですが、それをさっ引いても、全ての踊りがスバラシイ。

死後(第2幕)のジゼルは、やはり無償の愛より何だけれど、踊りの完成度の高さのせいか、甘さはそれほど感じられなくて、プジョルとベクトルが逆の霊的な感じ(人間でない感じ。うまく言えませんが)で崇高、というか。

 

映像はしょっちゅうブラボー出まくりで中断する(次の手のコールドがポーズに入りながら、進行が止まってしまうので、苦笑いしながらポーズを一旦解いたりする)のがちょっとイラッとしますが、実際にこの歴史的な舞台を目撃した(幸運な)人ならば、さもありんなん。

ほんと、そうしてしまうのもわからんでもないよ(笑)。

 

 

バレエ『シンデレラ』と現代

f:id:pico_usagi:20201124210755j:plain

オランダ国立バレエ団とマリインスキー

名曲ながら、現代において名振りが難しいと感じていたプロコフィエフの『シンデレラ』。

ここにきて、納得振りを二つ。

 

まずは、ラトマンスキーによるマリインスキーの『シンデレラ』。

実は2002年の来日公演で、人生において初めて見たシンデレラがこの振付です。

当時は、何分初見だし、あまりにも現代より(ただし、1920~30年代のNYが舞台)なので、なかなかに受け入れがたかったのですが、クラシックとしての『シンデレラ』が迷走する中で、もう現代よりならば、かえっていいや!という気持ちになって…、再見。

 

主演は、私とどうも相性の悪いヴィシニョーワ様。

でもこのロールは、全然サイボーグっぽくなくて、生き生きして好印象。

すっきりとモダンな衣装と舞台装置も、もっさりしがちなロシア・マリインスキーには珍しく(失礼!)、音楽ともぴったり合う洗練された振りだな~と思いました。

現代人の感情としてイライラしがちな、いわゆる「シンデレラストーリー」感が薄くって、流れるように舞台を見ることができます。

王子役も、晩年の(失礼!)ヴィシニョーワ様と組むことが多いシャクリャーロフ君。往年のマリインスキーのプリンシパル(旧ソヴィエト組)のような花はないけれど、若手では実力派ですな。

 

…とまあ。こちらは少し前に見たので、ちょっと不利な感想ですが…。

 

ラトマンスキーが一番か?と思った矢先、現代の『シンデレラ』としてより洗練していると思ったのが、オランダ国立バレエ団のクリストファー・ウィードン(誰)?による『シンデレラ』。

はっきり言ってジャケットがもっさりしていたので、期待薄だったのですが…。

 

日本ではあまりなじみがないオランダ国立バレエ団ですが、オランダだけに、モダンに期待値上がる。

はっきりいって、主演のダンサーたちも全く知らないのですが…。

(ただし、だいたいが名前からして、ロシア系ですね)

 

初めに、あまり丁寧に描かれることがない、シンデレラの母親との思い出がプロローグに現れる。

父親も出てこないことが多いのですが…、オランダ版のパパは、よくあるようにあんまり飲んだくれでもない感じ。ただし、なぜか継母には弱い。(なんで結婚した…?)

 

王子も割と丁寧に描かれているので、子ども時代はこちらもあった。

ただ、あらすじを読んでいなかったので、こっちは最初「誰?」という感じ。

あと、嫁探し挿話もあったりと、わりと『白鳥』のジークフリートっぽい。

 

変わった演出(解釈)が多く、戸惑うこともありますが、舞台としてはすごく完成されていて、流れがスムーズだし、おしゃれ。

なんというか、ラトマンスキーは「モダンなシンデレラ」なんですが、こっちは現代的なおとぎ話といった感じで、きらきら感、わくわく感がまさにそれ。

 

魔法使いのおばあさん(善の妖精)は出てこないし、シンデレラと継母のいざこざも9「使用人扱い」というよりは単なる感情の縺れ(現代では、こんな義家族はあるあるだものね)のような感じ。

音楽とダンスを全くの連続でつないで、おとぎ話ムード全開のまま、エンディング。

いやはや、現代の全幕物として、とても面白い『シンデレラ』でした。

 

ただ…ね。

冷静になって思うこと二つ。

結局、シンデレラを幸せに導いたのは、「亡き母の愛」ゆえの魔法、という他力であること。また、「母の愛=絶対無条件の愛」という、ある種の古いジェンダー感。

シンデレラが相変わらず意志のない女の子、というのは型通りのままですね。

 

もう一つは、王子の花嫁候補に見る、19世紀ないし20世紀的帝国主義観。

クラシカルな『シンデレラ』は、王子はシンデレラ(昨晩の謎の姫)を探すために世界中を回る、というシナリオがあり、それを再解釈して、今回は各国の花嫁候補たちが中盤に出てくるのですが…。

 

もちろん、プロコフィエフの曲がそう、というのもあるんですけどね。

花嫁候補が、スペイン、ハンガリー、バリの姫を思わせるのはインドネシア

ハンガリーはちょっとよくわからない(もしくはロシア?)けど、スペインとオランダといえば、ハプスブルク系の同支配者だし、インドネシアは、戦前の植民地でしょ。

とくに、アジアの姫君はちょっと戯画化しすぎで、人種差別的なのよね…。

これってとっても、19世紀バレエ的な「政略婚」描写だな~と思ったわけです。

この点、新しいのか因襲的なのか、よくわからなかったところです。

 

押忍!手芸倶楽部_その2

f:id:pico_usagi:20200728225633j:plain


7月には奈良へ行けるかな〜、と思っていましたが、引き続き、コロナが盛り上がってかました。


なので、ぼちぼちバケーションシーズンですが、相変わらずひきこもり。

手芸活動再開です。


コロナ以前の話ですが、冬に本屋で藤田久美子さんという方のパッチワーク 本「日本のカタチ」を買いました。

パッチワーク にありがちなファンシーさは皆無な、基本、パターン集です。


なので、着地点を定めてから作ろう、と思いつつ、何軒かある手芸屋さんのハギレワゴンのハンティングを続けていました。

普通に採取すると、パッチワーク は結構お金がかかりますものね。


いくつか組み合わせのできるストックが集まったものの、バッグの裏表でデザインを選ぶのが意外と難儀で停滞。

実際に本を読んでみてもらえばわかるのですが、結構頓智?のきいたデザインなので、組み合わせも意味が重要なのです。


最近、金色の生地が激安で手に入ったので、組み合わせが決まり、連休に乗じて小さなバッグが完成。

デザイナーのいうとおり、金色が効いてますネ。


お稲荷、ということで、うらは提灯でまとめました。


もう何年も浴衣なぞきてませんが、平時なら夏祭りの娘さんが持つとカワイイだろーなー、と思います。

押忍!手芸倶楽部

f:id:pico_usagi:20200630231001j:plain


押忍!手芸部というアーティストがいるのですが。


さて。


手芸をしないわけではないのですが、年齢とともに不精になり。


しかし、なぜか時々ブームがおとずれ、かつ、今年はクールなパッチワーク 本を買ったこともあり、年始から手芸屋さんの安いハギレをハンティングしてため込んでいました。


で、今年のコロナ騒動


店頭からマスクが消えたとき、世の中に不織布が登場して以来の使い捨てマスク派でしたが、家にある不要布で自分サイズの布マスクをつくりはじめ。


かつ、「とにかく手に入らない」ことが世間にもいい言い訳?となり、かなり自由なマスクをしていてもオーライな雰囲気の中、せっせと着替え・休日用の分までマスクをつくったことをきっかけに、エコバッグを不要布で作ったりと、とにかく「お金をかけない」手芸がマイブームに。


手作り好き、というよりはモノグサ寄りの布好きなのです。笑


このようなコロナ規制以来、市外すらなかなか出ない日が続きましたが、久しぶりに小出掛けしたとき、近くのD&D departmentでとってもお買い得な布を発見。


店員さんによると、桐生の織り見本のデッドストック(D&D的にはLifeストックというプロジェクトらしい)だそうで、近所の手芸屋さんではとてもみられないような珍しい織が、えらいぎょうさんありまして( ・∇・)。


いろいろ欲しかったけど、自分のところであてもなくまたデッドストックになるのもいやなので、ぱっと見ゴブラン織ぽいのだけを買いました。


トートなら使うかも、と思いつつ、形がかわいくてかつ作りやすい、というのがなかなかなく、D&Dのサイトをみていると急にメッセンジャーバックがいいなあ…、と思い、がんばりました。


マスクにいいかな〜、と思って買ってきたシーチングのハギレなど裏地にサイズがちょうどあい、今年ならではの成果。


冬むきな生地なので、コートに合わせたいなあ、と思っています。

1991年版『バヤデール』

f:id:pico_usagi:20200601232159j:plain


ビデオで見て以来、長年鑑賞がかなわなかった、1991年上演のマカロワ版『ラ・バヤデール』。


中古のDVDが安く手にはいったので、ようやく再見が叶いました。


結論から言って、映像記録のあるバヤデールでは名盤。


配役は今や再現不可能なゴージャス・メンバー。

ニキヤ役のアシィルムラートワは、現役時代を全く知りませんが、マリインスキーのプリンシパル

エキゾチックなバヤデールを、厳かに演じつつ、完璧なテクニックを披露してくださいます。

今までみたかなでもっともニキヤっぽい。


ソロルはおなじみムハメドフ。

これまた完璧なボリショイ・プリンシパル出身で、ロイヤルへ移籍してもそのテクニックは健在。

(ただし、グリゴローヴィチの振付にみられた変態性が薄まってて、ちと控えめな印象)


そして、意外と高僧役のアンソニー・ダウエルがいい感じ。

まだまだ色気がある(昔のプリンスです)し、横恋慕しているダメ坊主っぷりもいい。


あらためてみると、マカロワ版の展開はテンポが早くって、演技も無駄がなく(説明臭いという見方もできるけど)サクサクみられるのよね。


そして、ガムザッティがダーシー・バッセル様。

マリインスキーのバヤデールでは中途半端な出番しかないガムザッティも、マカロワ版では最後まで見せ場がある、プリンシパルにふさわしい役ですね。


ちなみに、キャラクターダンスとして有名なブロンズ・アイドルは、20歳そこそこの熊川哲也氏が踊ってます。

久しぶりにみると、あられもないくらい金ピカで、ほぼ原型?不詳。(笑)


映像の編集も、キーの人物を丁寧に追ったカタチになっており、すべての因果関係(誰がニキヤを殺したか、とか)も、すべて視線で追えるようになっています。

なので、高僧から渡された解毒剤を手にしつつ、ニキヤがみたのはガムザッティの手をとって去ろうとしたソロル、というのがニキヤ視線で見ることができ、あ〜あ、という感じがまざまざとわかります。(笑)


それにしても、今回はむしろ第二幕の「影の王国」の必要性が今ひとつわからない結果に。


失意(とはいえ、自業自得)の中、阿片を吸ったソロルの幻影というか願望?、というのはわかるけど、1幕、3幕のドラマの緊張感に比べ、なんとも間延びしてるのよね。


この「影の王国」は、ジゼルの第二幕に似ているのだけれど、ジゼルは必然として、これはなんで必要なのかな…。

ロイヤルのコールドは、当時もいまも、パッとしないし、なあ。


しかし、今回思ったのは、ソロルとニキヤを結ぶ白いベール。


これは二人の永遠の愛の象徴、というふうにいわれているけど…、ドラマチックな三幕を観た後では、ソロルをあの世へ呼び込んだニキヤの執念(恨み)のように…みえました。


…怖い。



グリゴロヴィチ版『ロミオ&ジュリエット』

グリゴロ盛り上がりついでに、ムハメドフ&ベスメルトノワペアのロミ&ジュリを再見しました。


あらためて、ダンス・ダンス・ダンス

ドラマチックなよさがあるクランコ版、マクミラン版もいいと思ったけど、案外、ロミジュリはグリゴローヴィチの振付が今は一番実見したいなぁ。


しかし、今から考えれば、この映像はスター揃いなので…、いまのボリショイでは再演は可能なのかしら。


それにしても残念なのは、ティボルトの髪型。

なんで…、よりによってマレットヘアなのか⁈


80年代らしいといえばそうなんだけど、クラシックダンサーならもう少しちゃんとして欲しかった。

お前はG.I.オレンジか(笑)


これさえなければ、永久版だったのに…な。


関係ないけど、90年代半ばのイタリア南部では、マレットヘアをよくみかけました。

ロベルト・バッジョのせいなのか知りませんが、ティボルトもイタリア人だけど…、モンダーギュのご当主や貴族たちがみんなイタリア・ルネサンス絵画ばりのスタイリングなのだから、そこはあわせてよ。




ヴァシリーエフの『スパルタクス』なと

STAYHOMEの日々ですね。

 

久しぶりにブログをみたら、「スパルタクス」の記事が検索上位に出てきてました。

2020年冬公演(あるのかな?)のおかげですかね。

 

数年前に盛り上がった『スパルタクス』鑑賞ですが、どうも一番古い&グリゴローヴィチオリジナルキャスト(だったと思う)のヴァシリーエフ主演版の記事がなかったので、すっかり忘れてしまっていたこともあり、みてみました。

 

1977年の映像で、たぶんスタジオ撮り。

古いソヴィエト時代の映像らしく、編集が激しい。まさにボルシェビキちっく。

編集のせいか、少々短めです。

 

スパルタクスがヴァシリーエフ、フリーギアが奥さんかと思ったらベスメルトノワ。

クラッススがリエパです。

 

ヴァシリーエフのスパルタクスは、ムハメドフほど変態っぽくなく、ちょうど等身大に「スパルタクス」な感じ。

リエパに期待してたんですが、メイクのせいか、今見ると変態ぽいです。

 

今まであまり期待したことなかったんだけど、久しぶりに見るとエギナいいなあ。

クラッススがややサイボーグですが、あらためてみると、スパ&フリーよりクラ&エギナのカップルのほうがペアの踊りにみどころ多いね。

前者が平和なカップル、あるいは哀愁のペアでしかないのに比べ、ギラギラ感がエキサイト要素なのかしら。愛人間の駆け引き感が半端ないです。

 

思うところはもっといろいろあったような気がするのだけど、そのあと勢いに乗って続けてアコスタ主演版をみてしまったので、印象が薄くなり…。

 

アコスタ版は前回割とピンと来なかったけど、基準的な『スパルタクス』をみた後では、基本を理解した後になるせいか、案外楽しめました。

 

まず、BDなので音が断然いい。

ハチャトリアンの組曲が、プロコフィエフ同様、バレエ音楽の特性なのかもしれないけれど、繰り返しのフレーズのバリエーションで演出されているのが面白いなぁ、と思いました。

 

アコスタさんは、今回思ったけど、グリゴロ様式の変態的足の動きが身についていないので、ちょっとものたりなかったのだなぁ。

グリゴロの振付は、足の動きがやはりかなり特徴的なような気がしました。

もリフトはうまいし、全体的にエレガントなんだよね。

 

クラッスス&エギナのペアは、今回はよかったなぁ。

マリア・アラシュも、今回観ると、すごくエレガントな踊りのできる人なんだなぁ、と思いました。

ヴァシリーエフ版、ムハメドフ版のエギナより人間味あふれるコケットではないんだけど、クラッススとのバランスもよかった。なんというか、権力者的ベストカップル(笑)。

 

クラッススも、あらためてみると、ローマ軍=貴族という鼻持ちならぬ感じが似合っているような気がしました。ちょっと細いダンサーですけどね。リフトはもう少し頑張りましょう(笑)。

 

ということで、全体舞踊としてみると、やっぱりグリゴローヴィチ版『スパルタクス』は面白いんだなぁ~と思いなおしました。

なぜか悪役のエギナにみどころが多い(もちろん、カプツォーアのフリージアも抒情的でうまい)ので、ザハロワのエギナもみてみたいな~、と、急に盛り上がってしまいました。